カテゴリー別アーカイブ: 【連載】多摩ニュータウン

【10】その時多摩は動いた(2)

  昭和三十七年の春頃、多摩の富沢村長の紹介もあって西武グループに開発をやらせたらどうなのかという話を進めた。  西武鉄道グループは既に連光寺のアパッチ砦(小高い山を持つ当時の地主は山の上に櫓とも見張り小屋とも思える建物 … 続きを読む

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【9】その時多摩は動いた(1)

 NHKの歴史ドラマではないが、多摩ニュータウンという近代都市の建設は当初、主に住宅公団の主導で進められ、公団王国を築きあげてきた。  その最初のきっかけは、まさに「その時歴史は動いた」という場面にふさわしいものであった … 続きを読む

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【8】府中カントリーを誘致(2)

 集落から少し離れた由木村と多摩村との村境に、山林を主とした共有地があった。ゴルフ場用地に薦めようとしたそこの場所は、中沢地域を丸く囲んだ中沢沖一帯と呼ばれた地区であった。そこからは燃料となる薪炭や建築用材や、この地方の … 続きを読む

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【7】府中カントリーを誘致(1)

 縄文時代から数千年にわたって、多くの人々が生活の場として住み続けてきた多摩丘陵は、戦後十数年経った頃から、その姿を変え始めてきた。  それは農業の近代化を前提としたゴルフ場の誘致であった。やがて都民の住宅地へと変遷を繰 … 続きを読む

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【6】二つの吸殻の山(2)

 藁の山に囲まれて草履を作っていると茅葺きの屋根から落ちる雨垂れの音が聞こえ、目の前の地面には幾つもの小さな穴ができて水たまりを造りだしている。庭中の桑の葉に雨が当たって上下運動をおこしているのも目に入る。藁くずに囲まれ … 続きを読む

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【5】二つの吸殻の山(1)

 戦後まもなくのころ、多摩の山沿いと言われていた唐木田地区は戸数20戸余りのひっそりとした、寂しい山村の部落だった、その山間の部落に終戦により兵役から帰ってきたばかりの若者がいた。  毎日することもなく手持ち無沙汰の日々 … 続きを読む

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【4】縄文からドラマの舞台だった(2)

 養蚕が盛んになるにつれ多摩丘陵は辺り一面桑畑へと変わっていった。八王子が桑の都と言われ全盛を極めたのも明治から昭和の始めにかけての頃であった。  多摩の山々は起伏に富んでいるため谷戸はそれぞれ少しづつ環境が異なり、その … 続きを読む

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【3】縄文からドラマの舞台だった(1)

 多摩ニュータウン、その用地となった約三千ヘクタールに及ぶ区域はどんな所であったのか、そしてどんな役割を果たしてきたのか。これらの土地は幾多の変遷を経てきて、多摩ニュータウンの開発へと変貌を遂げた。  古代そして縄文人は … 続きを読む

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【2】人々が生き続けてきた村

 この土地に生まれ、この土地で死ぬことが宿命とされていた人たちがいる。  その人々は代々この多摩に続いてきた農を守り家を守ってきた後継者たちでもあったのだ。多摩ニュータウンが出来てから、その人たちのことが原住民と呼ばれる … 続きを読む

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【1】人々が生き続けてきた村

 多摩丘陵は幾つもの変化にとんだ山あいの里に、どこからやってきたのか、それは西の方なのか、北の方なのかは分からないが、私たちの先祖が住みついた。くらしの営みが始まり、それ以来7百年とも8百年とも言われているが、確かなこと … 続きを読む

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