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多摩ニュータウンタイムズについて
多摩ニュータウンの入居開始を控えた1969年、新しい街の地方紙(地方新聞)として創刊し、以来、多摩ニュータウン及びその周辺地域(多摩市、八王子市、稲城市)の皆様に最新ニュースや生活情報などを提供してまいりました。今日まで読者の方々をはじめ皆様からのご支援を頂き、おかげさまで創刊40周年を迎えました。 今後ともご愛読を賜りますようお願い申し上げます。 配布エリア:多摩ニュータウンの全域(多摩市、八王子市、稲城市)

唱歌のことば今ここに Archive

唱歌のことば今ここに 「たなばたさま」

 7月7日は七夕。「ささのはさらさら~」で始まる唱歌「たなばたさま」は昭和16年(1941年)に発表された(著作権保護のため歌詞省略)。
 かつては多くの家庭や学校などで、採ってきた笹竹に五色の短冊に願いを書いて七夕の夜に飾ったものだ。彦星と織姫星が天の川を挟んで一年に一度だけ会える日。中国をはじめ、アジアには各地に七夕伝説がある。夜空に天の川が一番きれいに見えるのは陰暦の7月7日でもっと先だが、七夕への思いは日本人らしい情緒。
 さて、なぜ笹竹につるすようになったのか。笹は邪気をはらうとされ、田んぼの近くに植えられていた。そして、天に向かって伸び、船形をした葉が願い事を天まで運んでくれる、と笹竹が使われている。夏の星空にとっておきの願いを書いて、さらさらと心地よい笹の音を聞きながら、星まつりの日を特別な夜として夜空を見上げてみては…。 100701号掲載

唱歌のことば今ここに 「蛍」

 井上赳作詞・下総皖一作曲の文部省唱歌「蛍」は昭和7年(1932年)尋常小学校3年生の新訂教科書に登場した。「蛍の光」や童謡の「~ホタル来い」などホタルを扱った歌は多く唱歌「夏は来ぬ」には2回も“蛍飛び交い”の歌詞が出てくる。夜、水辺を蛍がほのかな光を放つ情景は初夏の象徴だったようだ。
 世界に蛍は2千種もいるというが、日本では5~6月に見られるゲンジボタルや小型のヘイケボタルが多い。蛍が光るのは、外敵を脅かし食べられるのを防ぐ自衛のためという。幼虫は水中で巻貝のカワニナを餌に9カ月を過ごすが、蛍になると夜露の水だけで餌はとらない。平均してオスが3~4日、メスも5~6日の命で、長くても2週間と言われる。はかない自然の摂理だ。
 「蛍」は、清流にメダカが泳ぎ夕暮れに蛍が飛び交う環境があったことを告げている。この時季、地域でも探せば蛍に出会える場所がある。驚かせないようにそっと行ってみませんか。 100601号掲載

唱歌のことば今ここに 「野なかの薔薇」

 若葉薫る5月は薔薇の花の季節でもある。近隣では町田市の「野津田公園」や八王子市の「ロザリアン八王子」、調布市の「神代植物園」や「アンジェ」の薔薇が華麗に咲き競う。
 薔薇の花が日本で最初に登場したのは『万葉集』。その時代から原野に自生しており、その頃は「うばら」などと呼ばれていた。初夏の光を受けて無邪気に、しなやかに伸びた枝の深い緑陰、そこに少女のように可憐で健気に咲く薔薇たち。ゲーテ作詞・ウェルナー作曲「野なかの薔薇」は、日本では明治42年(1909年)、近藤朔風の訳詩で発表された。
 原作はゲーテ22歳の頃の作品。野中に咲く薔薇はおそらくゲーテの別れた恋人の面影で、童とはゲーテ自身と思われる。真紅の薔薇の花言葉には、“死ぬほど恋焦がれる”という意味があり、彼はこの詩で自身の自責の念を詠ったのかもしれない。薔薇の花の豊かな表情や芳しさは、今もなお人々の心を捕らえ、魅了する力を秘めている。 100501号掲載

唱歌のことば今ここに「ゆりかごの唄」

 ベビーベッドなど普通にはない時代のこと。つるしたカゴに寝せる素朴な「揺籃(ゆりかご)」は赤ちゃんの安息の場所だった。赤ちゃんは母親や祖母の歌う子守唄で安らかな眠りに誘われた。
 大正 7年(1918年)、作家鈴木三重吉は児童雑誌「赤い鳥」を創刊して児童文学を推進した。この雑誌の同人で中心作家の北原白秋は「ゆりかごの唄」を書いた。ドイツのモーツァルトやイギリスのマザーグースの子守唄と日本の童歌を比較し生まれた作品と見られる。初めは白秋も三重吉もメロディをつけて歌になるとは考えていなかった。しかし同じ雑誌で童謡の創作運動を進めていた作曲家の草川信は白秋の表現に着目してメロディを書いたという。
 大正10年(1921年)8月、「ゆりかごの唄」は雑誌「小学女生」に発表された。
 カゴの中でコロコロと鳴くカナリヤの声、緑濃いビワの木の葉、いたずらネズミ、夢を誘うお月様。いずれも赤ちゃんの安らかな眠りを誘う。この唄は自然の中に優しさを見出だす大人が聞いても安らげる名曲。それを表現できたのは作詞者の心が優しさであふれていたからだろう。
 子守唄は赤ちゃんが生まれて初めて触れる唄。心落ち着ける安定剤のようなもの。いつの世もお母さんは温かい眼差しで我が子に唄ってあげてほしいものだ。そして子供も優しい心の人に育ってほしい。 100301号掲載

唱歌のことば今ここに 「汽車ポッポ」

 JRや私鉄では昔の姿のまま動くよう整備された蒸気機関車が客車を牽き、人気を集めている。その勇姿が人の心を捕らえるのか。汽車の歌には、“今は山中~”の「汽車」をはじめ童謡にも軽快に走る汽車の歌が多い。昭和2年(1927年)に本居長世が発表した「汽車ポッポ」は急勾配に挑む蒸気機関車を描いた作品だ。「青い目の人形」「赤い靴」「七つの子」などの作曲で知られる本居が作詞も手がけたのが「汽車ポッポ」で、御殿場線をイメージしたものという。
 昭和9年に丹那トンネルが開通するまでは東海道本線は国府津駅から今の御殿場線を通って沼津駅まで迂回して走っていた。国府津からも沼津からも一番高いところに位置する御殿場駅までは坂を上る勾配路線。特に国府津を発車した列車は「鉄道唱歌」にも歌われた山北から駿河小山駅間のトンネルと鉄橋の断続する急坂の区間を走る。このため多くの列車は山北駅で後部に後押しの補助機関車を連結して御殿場駅を目指した。猛煙を吹き上げ後押しする蒸気機関車の響きが本居の心に響いたのだろう。
 この歌は人生にも置き換えられる。困難に遭遇しても家族や友人の協力という“蒸気機関車の後押し”があればきっと乗り越えられる。そう思うと蒸気機関車の出す煙は人の息遣いにも聞こえてくるようだ。 100201号掲載

唱歌のことば今ここに 「ひのまる」

100101shoka hinomaru かつては、どこの家でも元旦から始まる祝日を“旗日”と呼び、門前には日の丸の旗を立てて、国旗は身近な存在で愛着を持っていた。
 唱歌「ひのまる」は、「春が来た」「春の小川」「故郷」などを手がけた作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一による作品。明治44年(1911年)尋常小学校一学年の唱歌として登場した。今も一部の歌詞を改訂して一年生の教科書に載っている。
 純白の地に赤い太陽をかたどった、世界で一番簡素な国旗が日の丸。敗戦による連合軍の占領下で一時は使用禁止とされたが、連合総司令官マッカーサーは日本の復興と尊厳を思ったのだろう、占領中の昭和24年元旦に日本の無制限使用許可を発表した。
 実は、日の丸の法制化に関しては昭和6年3月に国旗法案が衆議院を通ったが、会期末と解散のために放置され、しばらく国旗・国歌は法律として規定されず慣習として扱われていた。平成11年になって、国旗・国歌法が制定された。
 旗の起源を遡ると、源平時代に源氏が白地に赤、平家が赤地に白の旗を掲げたことに始まる。それがやがて日の丸にまとまり、信長・信玄・家康たちもシンボルに使ったという説もある。
 もともと日の丸は日本人の心の美しさ、清らかさ、誇りを表す象徴であった。そして、今も日の丸は「うつくしい」国家のシンボルだ。
 100101号掲載

唱歌のことば今ここに 「赤い靴」

091201shoka 大正10年に「青い眼の人形」を発表した野口雨情と本居長世の作詞・作曲家コンビは、翌11年(1922年)名作「赤い靴」を完成させた。
 雨情にはこの作詞を駆り立てられる動機があった。
 かつて雨情が北海道の新聞社にいた時、そこで同僚の身の上話を聞いた。同僚は北海道で開拓に従事したが失敗し、その後新聞社で勤務していた。3歳の娘(岩崎きみちゃん)のいる妻とは再婚だが、開拓者の生活は苦しく、結婚にあたって2人は娘をアメリカ人の宣教師夫妻に養女として託したという。
 “異人さんに連れられて行く赤い靴の女の子”というのは実在の子供の話だった。この話を聞いた直後、雨情自身も生後7日の娘を失うという悲劇に見舞われる。
 娘を手放した夫妻は子供がアメリカに行ったと信じていた。しかし現実には宣教師がアメリカに帰るとき、娘は結核を患い同行できなかった。宣教師とも別れ東京・麻布にあった教会の孤児院で闘病後、9歳で寂しく生涯を閉じた。母親はわが子がアメリカで幸せに暮らしていると信じたまま生涯を終えた。
 「赤い靴」は遠くに離れていった女の子を思う歌。横浜の山下公園には海の方向を見ている女の子のブロンズ像が建っている。
 この歌からは昭和52年11月15日、北朝鮮に拉致された当時13歳の横田めぐみさんを連想する人もいるだろう。しかし、めぐみさんは今も異国できっと、父母と故郷を思いながら暮らしているに違いない。 091201号掲載

唱歌

091101shouka 作詞・野口雨情、作曲・本居長世による「青い眼の人形」は大正10年(1921年)に発表された。
 アメリカで、画家オニールが1903年キューピッドをモチーフにしたイラストを雑誌「COSMOPOLITAN」に発表。その原画をもとに9年後の1912年(大正3年)にはセルロイドのキューピー人形が誕生した。日本に渡来したのは大正4年頃という。軽くて愛嬌のあるキューピー人形は日本で大きな人気を博した。野口雨情の三女もキューピー人形を可愛がり、それがこの曲の作詞を促したという説もある。
 キューピー人気は商業的にも多方面に広がった。
 『キユーピー㈱』の創業者中島董一郎氏が舶来のキューピーに注目し、大正14年3月に日本で初めてキューピーをキャラクターにした「キユーピーマヨネーズ」を登場させたことでもわかる。日本でマヨネーズが一般化する原点はキューピーの登場だったのだ。
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 一方、親善大使の役を果たした “青い目の人形”もいた。
 昭和2年、険悪化しつつある日米関係を解きほぐそうと、親日家の牧師ギューリック博士の考えで実業家渋沢栄一氏を通し、平和の親善大使としてアメリカの小学生たちから1万3000体もの人形が贈られ日本各地の小学校にやって来た。人形はセルロイドではなく陶器製で、皆手作りの洋服を着て本物そっくりのパスポートを持っていた。アメリカの子どもたちの友情と好意に応えようと、日本からも多くの日本人形(市松人形)が海を渡ったという。
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 八王子市立第八小学校(石川町)には昭和2年にやってきた人形が今も健在だ。戦時中には廃棄されたり、空襲で失われたりし、難を逃れて現存するのは全国で300体に満たない。
091101ningyou 同校では当時在校していた卒業生の記憶をヒントに、昭和53年、古い倉庫にあった木箱から身長45センチ、髪はブロンドで黄色いドレスを着た青い目の人形(写真)が発見された。木箱の中にはアメリカの小学生の手紙なども入っており、手紙にはニュージャージー州のフレンズ小学校からの贈り物とある。第八小の児童たちは人形を「メアリー」と名付けた。
 「メアリー」はいま校長室のケースに飾られている。横に寝かせるとゆっくり目を閉じる。毎年4年生は総合学習の時間に自校の歴史の中でメアリーの話を学び、6年生は写生して卒業式に展示するという。
 青い目をした人形は戦争という人間の暗い歴史と同時に、人間の優しい心を伝えているかのようだ。091101号掲載

唱歌のことば今ここに 「故郷の廃家」

091001shoka 「故郷の廃家」は明治40年(1907年)「旅愁」と共に中等教育唱歌として採用された。犬童球溪作詞のこれらの歌は広く親しまれ、昭和40年頃まで教科書に登場したという。
 当時の唱歌にはスコットランドやアメリカの楽曲が導入され、「故郷の廃家」も米国・ケンタッキー州出身の作曲家・ヘイズの原曲に犬童球溪が作詞し、明治時代屈指の名曲といわれた。教育者で作詞家の犬童は熊本県人吉市の出身。師範学校から東京音楽大学(現東京芸大)を卒業し、兵庫県で中学教師を経て新潟高等女学校に赴任した。「旅愁」と「故郷の廃家」は、ここから遥かな故郷に思いを馳せた詞といわれる。
 『故郷』とは何だろう。都会育ちには、故郷がある人が羨ましいという。自然の風景なのか、人なのか。懐かしい人が去ってしまっても山や川は変わらぬ姿で迎えてくれるが、やはりそこに人がいないのは寂しいもの。青く高い空、聳え立つ山、澄んだ空気…。
 ふるさとは遠きにありて思うもの。そして悲しく歌うもの(室生犀星)。 091001号掲載

唱歌のことば今ここに 文部省唱歌「月」

090901 shoka 唱歌「月」は、1910年(明治43年)尋常小学校1年生の文部省唱歌として発表された。
 昭和20年代までと長く歌われたが、時代によって漢字を多用した時期とカタカナ主体の時期があった。
 月といえば、秋の十五夜。ススキを飾り、芋や梨、ぶどうなど秋の収穫物と、お団子を供える風習が今も各地に残る。旧暦8月15日の満月。国立天文台によれば今年の旧暦8月15日は10月3日、この日に「中秋の名月」を迎える。
 平安時代前期に書かれて日本最古の物語とされる「竹取物語」では8月15日にかぐや姫が月へと帰って行く。西洋には満月の夜に血が騒ぐオオカミ男の伝説もある。
 1969年、アメリカのアポロ11号が月に着陸し、2人の宇宙飛行士が人類として初めて月に降り立ってから、月に対して抱くイメージが変わった。その後、アポロ計画の月面着陸は6回を数えた。
 今や、月での居住施設を含む基地建設の材料として月の砂などの研究も世界中で進んでいると聞く。また先ごろは、宇宙に長期滞在し、無事帰還した若田さんの話もある…しかし反面、失業率の高さや生活保護受給者の増加など、いろいろと大変な時代だ。せめて「中秋の名月」を楽しむ心のゆとりを持ちたいものだ。  090901号掲載

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