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多摩ニュータウンタイムズについて
多摩ニュータウンの入居開始を控えた1969年、新しい街の地方紙(地方新聞)として創刊し、以来、多摩ニュータウン及びその周辺地域(多摩市、八王子市、稲城市)の皆様に最新ニュースや生活情報などを提供してまいりました。今日まで読者の方々をはじめ皆様からのご支援を頂き、おかげさまで創刊40周年を迎えました。 今後ともご愛読を賜りますようお願い申し上げます。 配布エリア:多摩ニュータウンの全域(多摩市、八王子市、稲城市)

学園の詩 Archive

学園の詩(41) きずな深める卒業制作

 何十年もたって母校を訪れる機会に恵まれた時、年季の入った自分の卒業作品にそっと手をふれ、無垢だった自分を思い出す。また、手で直接触れずとも、あの場所に自分の足跡があるということで、人の心の温かさに包まれていた当時の記憶が甦り、ほのぼのとした心地よさに浸る。それが卒業制作の良さなのかもしれない。
 多摩市立大松台小学校(校長篠田正春)は唐木田駅から歩いて数分の丘の上に建っている。時計台が学校のシンボルだ。
 その時計台の上で、創立以来21年間子供たちを見守ってきた風見鶏は現在老朽化のため修理中だが、千八百人以上の卒業生を今まで送り出してきた。親も子も卒業生という状況も増えてきている。
 毎日通った学校、あの教室、そこに行けばいつでも会えた同級生や先生方。それが卒業後はもう元に戻らない。義務教育期間中の一区切りである小学校の卒業は、システムの中では時を刻むと同時にやってくる当たり前の通過地点だが、子供にとってそのようなことを認識する初めての時なのかもしれない。
 他校同様にこの学校でも毎年卒業生が作品を残していく。昨年度はトイレに絵を描いた。学校のシンボルの時計台と風見鶏はもちろん、空を飛ぶ飛行機、海の中の動物たち、鮮やかな色で思い思いに描かれている。作品の前を丁度通りかかった男子児童が「新聞に載るの?」とうれしそうにポーズをとってくれた。今年度の卒業生は野外ベンチをペンキで塗るそうだ。
 育った学校に何かを残し、一緒に遊んだ下級生の子達が、それと共にすごし続けていくことを願う。人と人との絆が薄くなってきているといわれている昨今、直接のふれあいはなくても、これも心に暖かい陽があたる小さな仕掛けになるに違いない。
 少子化により学校の統合問題で揺れる地域も少なくないが、いつまでもこの学校が現在のまま残り、卒業生が、「ここにもどって自分も子育てをしたい」と思えるような学校にしたいと6代目の篠田校長は語る。
 卒業式には風見鶏も修理が終わって戻り、89名の卒業生を送る予定だ。 100301号掲載

学園の詩(40) 言葉より実行の響き 若葉総合高校陸上競技部(稲城市)

100101wakabasogo rikujokyogibu 平成22年。新しい年も新しい気持ちで清掃は必ず続ける。それは一期生から受け継ぎ今も陸上競技部23人の生徒たちが自らに課したゴミのない通学路。
 稲城市の都立若葉総合高校(立石武則校長)の生徒は殆どが京王線若葉台駅から登下校する。
 学校の始業は午前8時25分だが陸上競技部の朝は早い。「朝練を7時10分から始めます。駅は6時20分から30分頃になります」。駅から舗道を東へ、鶴川街道の交差点を渡って通学路に入るが途中には階段を上り降りする高さ7~8メートル程の台地がある。学校まで約6百メートル。
 平成17年4月に開校した当初の通学路は廃棄物が散乱し汚かった。6月のある朝、部顧問の柳澤真宏教諭は駅で出会った一期生の一年生部員と通路のゴミを拾いながら登校した。その話から「駅からゴミを拾いながら来ればいい」「汚いと文句を言う前に役立つことをしよう」と陸上競技部の意見がまとまった。
 かつて積雪の早朝には部員が一気に通学路の雪かきをした。いま部員はゴミ袋を携帯しゴミを拾いながら登校する。路傍の空瓶、菓子袋、タバコの吸殻と紙屑も見逃さない。
 3年生の冨澤昇吾、清水晴香、2年の今井明日香、1年の宮崎恭輔の皆さんに聞いた。
 みんな中学から陸上競技を始めたという。「部活は殆ど毎日です」「休日にも8時半から午前中に行います」「一日に男子は20キロ女子は10~15キロを走ります」「簡単な筋トレは各自で腕立て伏せを60秒間」。
 そして陸上競技部が受け継ぐひそかな決意。「学校に足を向ける日は全員が必ず道路のゴミを拾います」「競技場でも練習をする前にゴミを拾ってから走ります」「やると決めたら納得するまでやれば後悔しないと思うので…」。決して多弁ではない話には言葉より実行の響きがあった。 

高校駅伝の健闘

 昨年、若葉総合高校の陸上競技部女子は東京都高校駅伝大会で6位に入賞し、11月21日、48校の強豪が競う関東高校駅伝大会で30位となった。男子は都の大会で惜しくも7位となり6位までの関東大会出場の資格を逃したが、これは共に向上する絶好の位置につけたと言えそうだ。 100101号掲載

学園の詩(39) 多摩の自然学校~大学の研究開発と小学校~

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手作りのカマドで炊事


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ペーパークラフト制作中

 9月19日(土)から23日(水)までの連休期間、多摩市立諏訪小学校の校地をベースに4泊5日で「多摩の自然学校」が行われた。主催は地元・国士舘大学で参加は多摩市の諏訪小と聖ヶ丘小、日野市の日野第八小の児童18人。児童たちは野外宿泊など自然と向き合う5日間の体験活動を重ねた。
 文部科学省はいま小学校の長期自然体験活動を推進している。国士舘大学はその委託事業として昨年度から体育学部の付属研究所・ウエルネス・リサーチセンターが自然体験活動のプログラム開発を行い今年は指導者育成の年という。
 昨年11月には同じ諏訪小などを使う自然学校で連光寺小と諏訪小の児童が参加して行われた。

◇実 施
 初日9月19日は午前9時に開校式。3班に分かれて荷物整理やゲーム、夕食のカレーの相談、買い出し、炊飯と調理、片付けになどに取り組んだ。最終の23日は撤収作業、午前10時30分の閉会式、11時解散で自然学校は終わった。
 この間は規則正しく起床午前6時30分、就寝午後9時。20日~22日には自分たちで弁当を作り黒川探検、食べられる野草採集、燃料の枯木拾い、自然の材料を生かすクラフト作り、よこやまの道で自然と歴史に触れる散策、帰ってからの学習発表など…。「星を見て寝たのは初めて」「知らない事を教わった」など口々に話す児童たちは、初対面の者も打ち解けて仲間となったようだ。
◇周到な事前準備
 実施に先立つ9月5日、諏訪小学校には参加児童と保護者約40人、大学側から永吉英紀キャンプディレクター(体育学部講師)、学生の山崎源太ヘッドカウンセラー、川島美緒保健師、聖ヶ丘小の遠藤昇副校長、諏訪小の鈴木謙一校長・佐藤之保副校長が出席し事前の説明会が開かれた。
 参加児童の健康調査書提出(終了時返還)、衣類や洗面用具などの持ち物リスト一覧、児童3班にはそれぞれ男女学生2人のカウンセラーが付く、スタッフ全員の氏名と役割の報告、家庭との連絡などが簡潔詳細に明示され、テントを張らず頭巾付の寝袋で野外の就寝も発表された。寝袋と食器は大学の備蓄品という。
 諏訪小の校舎南側には児童が冒険の丘と呼ぶ丸い丘を一隅に持つ草地の庭がある。カマドを備え、近くには上水道とトイレもありキャンプには最適の場所だ。鈴木校長は、風呂代わりにプールの温水シャワーが使えること、雨天の場合にはすぐ横の校舎に移れる用意があることなど語った。石鹸は大学で用意した子供にも刺激の少ない製品という。
 「多摩の自然学校」には先ず地域の大学の周到な準備と小学校の協力が支えて児童が地域の自然を体得する強さが感じられた。  091001号掲載

学園の詩 38 花と女子大生と~恵泉女学園大学にて~

左より 後列 大弓、渡辺、井上さん。前列 鈴木、原さん。

 多摩市の「恵泉女学園大学」(木村利人学長)には前庭の花壇をはじめ小型の三日月花壇、ハーブガーデン、ロックガーデン、樹木にも四季の花が絶えない。
 「ここには花と緑の自然があります。小鳥も多く農場にはキジも現れます」。授業の合間に、園芸の地域活動にも参加する文化学科4年生の大弓夏子、鈴木麻里、原真波、渡辺綾子、3年生の井上美奈子の皆さんが集まってくれた。
 農場は校舎東側の丘陵地にある。土に触れ環境を知る園芸は同校教育の柱の一つだ。「生活園芸Ⅰ」が1年次の必修、2年次からは「生活園芸Ⅱ」が選択科目となる。「無農薬で野菜を育てる有機野菜と花の育成も理論と実技で学びます」「野菜にも花が咲いて生命力を感じます」「花をつけた小さなキュウリが忽ち50センチくらいに化けてびっくりしました」。
 畑も花壇も教育施設だ。土を運び、土作りから苗を植え、育てる。決して楽ではない。しかし花が咲けば「元気だね、奇麗だね」と会話をかわす時が来る。
 チューリップやパンジーの咲く春。アジサイ、ベルフラワーにラベンダーの香る初夏。作物の実る収穫の秋。春の移植を待つパンジー、ヴィオラが寒さに耐える冬…。
 「初めて学校に来た時に階段や洗面所にも花が活けてあるのを知りました」。
 花のある生活環境は人間と自然の共存、園芸と社会文化との関わりだろう。
 学識を社会で生かす。いま校外では多摩センターパルテノン通りの一角に6月は白いアジサイの咲く花壇を手入れしている。
 地元の人々と協力して樹木の下にハーブなどを植えている場所もある。
 また港区青山の子育て支援センターでは親子と一緒に野菜と花を育てる継続的な親子有機野菜教室が開かれている。
 大学で地域貢献の指導に当たるロバーツ美夏さんは学生の社会活動について今後も「持続可能」をキーワードにしたいと語った。
  この日の4年生の皆さんに卒論のテーマを聞いた。仮題では「バラの花について」「ベジタブルガーデン」「枯山水庭園」と並んで「花の色は何のためか」に取り組むという。自然は何のために多彩な花を咲かせるのだろう。花のある学園のひと時だった。 090701号掲載

学園の詩37 梨畑の体験学習 稲城市立稲城第四小学校

初めての花粉付け

 稲城市押立の稲城第四小学校(清水末富校長)。ここでは児童たちが「梨」の農業体験学習に取り組んで今年で16年目を迎えた。
 押立では24戸の農家が市内全域の20%に相当する約6ヘクタールの梨畑を栽培している。
 「郷土を知ろう」。平成6年から同校の児童たちは地元の協力で梨畑の作業に触れてきた。そして平成10年、総合的な学習の時間の設置と「身近な地域社会での学習を行う」指導要領により3年生の体験学習として定着したという。
 いまJA東京みなみ果実部押立支部と地元農業委員の協力により、毎年3年生は「4月花粉付け・5月袋かけ・9月もぎ取り・11~12月梨の木の剪定」に取り組んでいる。
 『稲城の梨』は地域ブランド認定で幸水・稲城・豊水・新高の4銘柄。
 市内では他にも梨畑の体験学習を行っている小学校もあるが、第四小学校は早くから学習の伝統を築いてきたと言えそうだ。
 
 4月17日(金)は花粉付けの日だった。3年生の男女79人は、午前10時から摘み取った「豊水」の花を砕き花粉を採取する作業を見学し、そのあと梨畑で棒の先に水鳥の羽を付けた凡天棒を手にして花粉付けの作業を行った。
 5月下旬。梨の実は3~4センチ位の大きさに育った。いよいよ袋かけ。袋は15切という符号の大きさを使う。かつて新聞紙を15等分して袋を作り防水に蝋を塗った名残りだが、いまは茶色の防水紙で根元に針金がついている。紐で袋を縛る手間はいらない。ただし今年の実施は少し遅れ、29日現在、専門家も自然の動きを見ながら待機中だ。
 学校の協力により、児童たちの花粉付けの作文の一部を紹介しよう。
 「花粉は先のふわふわしたぼんてん棒につけて1、2回ポンポンと花につけます」「ひとつひとつの花粉付けがこんなに大変なんて初めて知りました」「昔はハチが花粉をつけてくれたと初めて聞きました。だけど今はハチが減っているので手作業で大変だと思いました」「花のみつをなめてみたらとても甘かった。はなびらも食べたら梨の味がしました」「梨を育てるのは毎日の手作業で疲れると思います。今日はいい勉強になりました」。梨畑の3年生は元気に楽しそうだった。
 体験学習は、やがて梨が実り初冬の頃まで続く。  090601号掲載

学園の詩35 跳び箱に描く卒業記念の絵 北豊ヶ丘小学校(多摩市)

みんなで制作中!

  ここはバス通りから坂道を上った高台の「多摩市立北豊ヶ丘小学校」(後藤信行校長)。校庭の一角には学級園や水田があり南側の斜面には自然林が広がる。環境に恵まれた小学校だ。
  現在の6年生は2組編成で男子19人と女子29人の総数48人。毎年、児童たちは先生と話し合って卒業記念について考えるようだ。
  お世話になった学校への感謝をこめて校内大掃除の年もあった。学級園に立つ学年表示の立札は昨年の卒業制作だった。
  そして、今年の卒業制作は跳び箱に絵を描くことに決まった。
  体育館には8段の跳び箱が12セットもある。崩して使った時、前の通り積み直すのに混乱する。目印があると積みやすいと言う担任の石田隆彦教諭のヒントから、児童たちは跳び箱に絵を描くことにしたという。 2月23日(月)は制作の日。午後1時に児童たちはチューブ入りのポスターカラーと筆。バケツの水、色を調合する皿などを持って体育館に集合した。
 つみ重なった跳び箱の両サイドに描くのはドラえもん、ポケモン、ディズニーのキャラクターなど。大人の知らない名前もある。一台に4人平均がチームの決めた絵を描く。元気に作業にかかった児童たちに聞くと色彩まで熟知していた。
 マジックで下絵をかいて彩色にとりかかるが、ポスターカラーは三原色の赤・青・黄と白。石田教諭と山口真実子教諭の指導で他の色は調合して色を出す。初めてのことで色の変化に驚く児童もいる…。 制作は2時間も続き、跳び箱は全てカラフルな絵に彩られた。乾いてから絵にはニスを上塗りすると長い使用にも耐えるという。
  同校は再来年の4月、北貝取小学校と統合しこの場所で新しい小学校となる。
  平成21年の卒業生による絵のある跳び箱は、その時も元気な児童たちを迎えることだろう。 090301号掲載

学園の詩34 「サポート・スクール」の意味 生徒も指導者も共に学習

左より根本矢、渡辺浩章、吉岡恆平の皆さん

 多摩市立多摩中学校が土曜日午前中の「サポート・スクール」を開始したのは昨年6月だった。当時は杉並区立和田中学校の土曜学習が広く伝えられたが、これは学校が教室を提供し識者の主催で学習塾の指導者を招く有料教室。一方、多摩中ではボランティアの大学生や院生の「教生」が自由参加の生徒を指導する。都内で公立中学の土曜教室は恐らくこの2校だけだ。
 土曜日の多摩中は原島久男校長、高橋洋文副校長をはじめ必要科目の教諭5~6人が必ず登校して学生・院生を見守っている。時には教諭も担当する。ここの土曜教室は先生方の意志と努力が支えているのだ。
 「教生」は帝京、明星、中央、多摩の近隣大学と早稲田の学生・院生で、いずれも前途を中学校教諭に照準を合わせる青年たち。
 10月の土曜日、帝京大学教育学専攻の根本矢(ただし)、渡辺浩章、吉岡恆平の皆さんと出会った。
 「学校の雰囲気を知り生徒への接し方を学んできました」「自分の生徒時代と今の子供の違いが分かります」「知っていると思って話すと知らなかったり、話題作りが難しい」。若い青年すら感じる世代のギャップ。「熱中している事があればそこから生徒の関心を掴んで」「元気のない生徒にはよく様子を見てやる気を出させたいと思います」。3人は指導の難しさに直面しているようだった。
 毎週1年から3年の学年毎に15人位は学校に来る。中間・期末の試験前にはもっと増える。午前中の2時限、学年別に英語、数学、地歴、国語などの自習形式だが、参考書をやる生徒も教科書を読む生徒もいる。分からない事は自由に聞けばいい。場合によっては専門の教諭が控えている。
 「学校は勉強する場所です。しかしつまらなければ嫌いになります」「中学生活は楽しい時代を送って欲しい」。楽しさの意味は広くて深い。先ず、ここは塾に行かない子供にも負担なく自由に学び過ごせる居場所ではないのか。そして学生たちには貴重な体験を身につける実習の場所と、多摩中の土曜教室には二重の意味が窺われた。 081101号掲載

学園の詩33 多摩市立竜が峰小学校 「夏の行事」は終わった

 来年3月末に閉校となる「多摩市立竜ヶ峰小学校」(牧野繁校長)には最後の夏。同校で永年続いた夏の行事も最終回を迎えた。
竜ケ峰小学校正面 8月3日(日)午前11時、今年はまず2階のランチルームで「エコ学習」が行われ児童たちと保護者も出席して、地球温暖化と節電をビデオ鑑賞も交えて学んだ。この日参加した渡辺幸子市長の市役所の冷房基準は28度など、児童にも分かる省エネ、節電の話は面白い。
 正午からは校庭で恒例行事「そうめん流し」が行われた。毎年、地元の人々が全面協力して来たこの行事は多摩市青少協・竜ヶ峰地区委員会(張川紀子会長)主催によるもの。
 校舎の窓から伸びた青竹の樋には、そうめんと一緒に学校の畑から収穫したミニトマトやブルーベリーも流れる。そのあとスイカ割りが行われ歓声のなかに児童たちが棒を振りかざしてスイカに挑んだ。
 会場には、冷たい麦茶、地元産の甘いトマト、キュウリと夏の塩分補給にも役立つ味噌、そしてスイカが食べ放題に並んだ。
 ここは多摩市の西北、日野市と八王子市の境界に接する和田地域。一帯は標高120メートル以上の丘陵がうねり、昔から「竜ヶ峰」と呼ばれていた。
 かつて百草団地と、隣接する竜ヶ峰小学校の建設は平行して進んだ。当時多摩第三小学校に次ぐ4番目の小学校だったが、その後の小学校増加に備え番号ではなく地名を名乗ることになったという。
 昭和45年3月の団地入居に併せて同年4月、竜ヶ峰小学校が開校した。
 まだ未整備の校庭は団地と地域の住民が協力して植樹などを整えたという。
 竜ヶ峰小は最初から今日まで学校側と保護者や地域住民が一体となって作り上げて来た小学校だ。
 これまで2回にわたる英語教育の研究奨励校など学習の成果も大きい。誰でも閉校は残念だ。
 しかし少子化の実情は厳しい。昭和50年代には500人、60年代には300人を数えた児童数は毎年大きく減り続けて現在は39人。学年最少は2年生の3人。
楽しい流しそうめん 来年7人の6年生が卒業すれば、残る児童は4月から運賃を市が負担する路線バスで多摩第二小学校に通学する予定だ。
 竜ヶ峰小の一室には第1期から毎年の卒業生の集合写真が掲げられている。
 牧野校長は、閉校後にもメモリアル・ルームを設けて同校の歴史を留める記録や事物を保存し、多摩第二小学校が改築された時に移管する計画を語った…。
 過ぎ行く夏の日。いつしかヒグラシの声が響いて竜ヶ峰小学校の1日は静かに終わろうとしていた。  080901号掲載

学園の詩(32)天使の灯火を胸に抱いて 都立南多摩看護専門学校戴帽式(多摩市)

節目の日を、気持ち新たに迎える学生たち 6月6日、南多摩看護専門学校では2年生の戴帽式が行われた。既にナースキャップを被った3年生と、私服ながらスーツ姿の1年生、父兄に見守られる中、80名の看護師の卵たちが式に臨んだ(うち男子は9名)。
 大抵の学校では、入学式と卒業式を行うが、それに匹敵する第三の式。「正直、戴帽式をしたからと言って、すごいことが出来るようになるわけではないのです」と教務係長の白尾氏。「ただ、入学以降ハードな勉強を続けてきて、悩むこともあったでしょう。ここで気を引き締め、再度自分の意思を確認してほしいです」。
 例年は基礎実習(7月)の後の10月に式を行うが、今年は「十分に式の準備をしたい」と、行事の少ない6月を選んだ。
 照明を落としての戴帽の儀。順に壇上で、先生方にナースキャップを被せてもらって「親火」からロウソクに火を受け継ぐ。これは、ナイチンゲールが夜間ロウソクを手に患者を見回った行為を象徴としたものだ。しんとした中、小さな灯りが一つ一つともされる。その度に、会場の温度も熱くなっていくかのようだ。手にした炎は患者の命、また自分の燃え上がる強い気持ちであるかのように、一人ひとり大切に運んでいく。灯りを胸に、出席者を囲むように立った2年生が、誓いの言葉を述べる。「どんな時も自らが看護の道を選んだことを忘れず同じ志を持つ仲間と共に、乗り越え、成長していくことを誓います」。
 我妻弘校長は式辞の中で、学生に3つのメッセージを送った。「看護師を目指す気持ちを、改めて確認してほしい。看護師は、患者さんの命と生活を支える大切な役割がある。また未熟な今だからこその戴帽式で、実習も間もなく始まる。これからは今まで以上に真剣に。看護の道は一人で進むわけではない。コミュニケーションの力を養い、仲間と共に高め合ってほしい」。
「勉強は難しくてへこむ時もあるけれど、もう一度気が引き締まった」という2年生。3年生からは「同じ夢を目指す者として協力し、力になりたい」という励ましの言葉が贈られ、4月に入学したばかりの1年生からは「自分も頑張ろうと思った」「ぐっと来るものがあった」と感想が上がった。
 間もなく実習が始まる。夢を現実にするために、今日も彼らは一歩ずつ歩んでいる。  080701号掲載

学園の詩31 先生、どうぞお元気で!多摩市東愛宕中学から世田谷区の中学へ

離任式の様子 今年4月、多摩市立東愛宕中学校(保健体育科)の臼井潤一主幹は人事異動で世田谷区立砧南中学校に赴任された。
 公立の小・中学校の先生は長くても6年程で異動するが臼井主幹の東愛宕中在籍は15年間。これは現在の制度では東京都でも最長のレコードだ。
 4月25日(午後2時30分より)、同校体育館では同時に異動した加藤一則校長、臼井主幹ほか2人の先生の離任式が、富田広・新校長と教諭、全校生徒、保護者、卒業生の青年たちも列席して行われた。
臼井潤一主幹 臼井主幹が東愛宕中に赴任したのは平成5年4月。当時は全国的に中学校で生徒に不祥事が頻発し、東愛宕中でも生徒のモラルが乱れていた時期であった。臼井主幹は、やがて生活指導主任として取り組むことになる。
 「まず、生徒の話をよく聞いてやりました。その上で、ダメなことはダメなんだ。それはこうすべきだったんじゃないかと言うと生徒は素直に反省し、がんばる姿を見せてくれました」。
 離任式で挨拶に立った臼井主幹は在校生に向かって「15年前、学校は危機的な状況でした。そんなとき私を支えてくれたのは、僕たちが東愛宕中学校を変えてみせますと言ってくれた生徒たちの言葉でした…。今の皆さんは、明るく素直で前向きな姿がすばらしい。特に3年生は下級生の手本となってがんばって欲しい」。そして生徒、先生、地域の協力を期待して結んだ。
 地元で学校の推移を知るPTAの方々は「とにかく臼井先生はミスター愛中でした」「今は市内で一番の学校と言いたい」。これは学校への支持と激励だ。
 卒業生の青年たちは「先生は良かった。生活指導での話し方も教え方も、叱る時も分かりやすく優れていました」「先生、どうぞお元気で!」と語った。
 15年。5人の歴代校長を始め教職員各位の努力は言うまでもない。しかし臼井主幹がなぜ長く東愛宕中に必要だったのか。その理由は保護者と卒業生の言葉で充分だった。
 「思い出の詰まった学校と地域です」これは臼井主幹の謝辞とも聞こえた。職責を果たし、みんなに記憶を残して臼井主幹は新しい前途についた。そして地域の学校もまた新しい明日を迎えようとしている。 080601号掲載

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