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多摩ニュータウンタイムズについて
多摩ニュータウンの入居開始を控えた1969年、新しい街の地方紙(地方新聞)として創刊し、以来、多摩ニュータウン及びその周辺地域(多摩市、八王子市、稲城市)の皆様に最新ニュースや生活情報などを提供してまいりました。今日まで読者の方々をはじめ皆様からのご支援を頂き、おかげさまで創刊40周年を迎えました。 今後ともご愛読を賜りますようお願い申し上げます。 配布エリア:多摩ニュータウンの全域(多摩市、八王子市、稲城市)

筆舌 Archive

筆舌 食料の自給率を高めるために 横倉舜三

 いま、世界中で食べものが手に入らない人々が多くいる国がある。
 人間は食べ物がなければ生きてはいけない。当たり前の話ではあるが、その食べものを求めて暴動が起きている国があるのだ。
 食べものが不足している原因は幾つものことが考えられる。ガソリンなどの原油価格の高騰により小麦やトウモロコシが代替燃料として使われるようになったこと、食料を生産する農業従事者が減ってきていること、また地球温暖化現象により世界の各地で砂漠化が進んできていること、世界人口の増加など。
 今、多くの国では食料の自給率を高めようという機運が高まりつつある。
 日本の食料自給率は39%で、先進国ではあり得ない最低の水準である。米国や中国からの輸入に頼っているのが現状である。
 7月に行なわれたG8北海道洞爺湖サミットでも、主要なテーマである地球環境問題に加えて、急遽食糧問題が議題に加えられた。  
 国際的な緊急課題として食料確保が挙げられるほど深刻な事態となっているにも拘らず、街のスーパーにはあふれるほどの食品が並び消費拡大を促している。今後はこのような輸入に頼る食料確保には限度が見えてくるのではないかと思う。自給率を高め、現状を改善していくためには国の農業政策の抜本的な見直しが必要になってくる。
 私たちも身近な空き地などを積極的に活用するなどによって危機をきりぬける努力をすべきであろう。
 私たちは何時の時代にも生き続けるために小さな土地でも耕し、自分が食べる物を少しでも確保するという努力と食べ物の有難味を知ることを心掛けてきた。
 事態が深刻の度合いを深めてくれば広い緑地を持つゴルフ場や公園なども耕作の対象となってくるだろう。
 そうなるまでもなくニュータウン開発によって尾根幹線道が計画されて広い中央分離帯には雑草が茂って空き地となっている部分など何も利用していないのは本当にもったいないことだと思う。
 40年もの間、空き地となっていたが、そこに大豆や小麦、そばなどを作っていたのなら何人分かの食料確保に役立っていたことになる。
 それは地域の人たちによってのみ達成されるのだ。 080901号掲載

筆舌 新しいまちづくり後悔先に立たず(1) 横倉舜三

 “多摩ニュータウン開発”の原点とも言うべき用地の確保に係わってきて以来40年の歳月が流れようとしております。振り返ってみると、開発の発端となった当初の住民の思いや希望は殆ど成就出来ていません。反省ばかり先に立ち、開発施行者や行政、そして地域政治家など。これまでも再三に渡って苦言を申し上げて参りましたが、改めて当初からの思いを伝えたいと思います。
 そもそも、この大開発の発端は多摩丘陵一帯が桑畑に埋め尽くされており、養蚕という産業が各農家に根付いていたところに、戦後石油製品の登場により養蚕という一大産業は壊滅の憂き目を見ることになってしまい、それに代わる産業や職業を見い出すためのものとして、住民は新しいまちづくりを選択したのです。
 それは安定的な豊かさを求めていたからです。その結果、信頼のおける公的開発施行者に用地を提供し、その活用を委ねたのです。
 計画人口30万人の都市が造られるとあっては、そこからあらゆる産業や事業が成り立ってくるものと大きな期待と希望を持ったのです。だからこそ多くの地主さんたちの賛同と協力が得られたのです。
 今考えてみると、このような地元の人々の思いと期待に果して応えることが出来ただろうか、用地の取りまとめに携わった者として元地権者に対し裏切りであったと受け取られても仕方がないとも思っています。
 当時、私自身も新しく完成するだろう30万都市に大きな期待を寄せ、新たな事業展開で地域に先鞭をつけようと、桜ヶ丘地区や初期入居の諏訪・永山地区商店街に出店をしたものの、赤字続きで結果は倒産という運命をたどることになってしまいました。
 ところがこのような状況になったのは私だけではなく、生活再建という措置により商店街に出店した多くの人たちも閉店、撤退を余儀なくされ、さらにそうした状況を見た地元の他の人たちも事業展開に対して期待と夢を失うことになってしまったのです。それは大手百貨店の「そごう」でさえも撤退するという事態になってしまいました。
 生活再建で転向した人たちが今日まで継続できていたら事態と開発評価は大きく変わっていたであろうと思います。  080701号掲載

多摩センターのまちづくり その② 横倉舜三

 何千年もの間その姿を変えようとはしなかった多摩丘陵は、多摩ニュータウンの開発を受け入れたことによって“多摩維新”とも言うべき時代を出現させたのである。そして今、私たちに与えられた道は“住民による”街づくりを進めることである。
 先ず一大拠点として位置づけられてきた多摩センターを充実させること。今こそ絶好のチャンスであると思っている。この千載一遇の機会を逃してはならない。このことは多摩センター地区だけの問題ではなく、多摩ニュータウン全体の街づくりに大きな意味を持つものと考えるからである。
 多摩ニュータウンの未来構想を考える上でも、多摩センターの街づくりが重要な要素であることは間違いない。
 現在の多摩市役所所在地は住民にとって利便性が高いとは言いがたい。
 地方自治法の第4条第2項では事務所の位置の決定基準の第一に掲げているのが、「住民の利用に最も便利である交通事情、他の官公署との関係等について、適当な考慮を払わなければならない」。
 この規定に留意しつつ機能性、効率性の観点から事務所の位置を決定する必要があると書かれている。
 この地方自治法に基づく条件の多くを、多摩センター地区は満たしているものと思うからである。
 小田急・京王・モノレールの3駅があり、交通の便は他の駅周辺とは格段の違いを見せている。
 他の官公署としては中央警察署、法務局、文化振興財団、埋蔵文化財センター、図書館、交通公社などが既にある。
 鹿島、松が谷に住む人たちにとっては、自治体が八王子市のため、市役所が遠く不便だという。合併前の自治体区域には支所を設置しているものの市議会や会議などは本庁舎でなければ用件を満たすことは出来ないからである。これらの轍を踏まない為にも地域政治家の思い切った改革が求められている。
 先人たちは多摩ニュータウン開発という前代未聞の変革を成し遂げた。
 農民の生命ともいうべき農地を提供させ、農業という天職までも投げ打って完成させた街であることを思えば多摩の政治家たちは今こそ決断をすべき時であると思っている。  080601号掲載

多摩センターの街づくりに想い切った決断を!

 このところ多摩センター地区は都市再生機構の未利用地処分によって大規模マンションが次々と建設されている。公共施設用地とされていた場所にも大規模小売店舗の建設、またモノレール駅前に七階建の商業ビルの建設も予定され、多摩センター地区の賑わいも取り戻しつつあるようだ。
 名実共に「センター」としての位置づけをするには、まだまだの感はあるが、鉄道三社の乗り入れを実現したことは正に街の発展を促す基本的な要件を備えたということが言える。
 だが、今ひとつ何か決定的な街の核となる施設がほしいということであろう。 「まち」とは人が住み、集まり、そこには仕事があり、情報が集まる。人々にとって価値のある場であるということである。
 人々の集まる場はそこに核があるからである。従来は、寺や神社であったりしたのだが、現代はそれに代わるものは行政の官庁なのかもしれない。
 そこで多摩センターに残されている用地はモノレール駅南側の中央第三駐車場のある場所であろう。
 この場所の利用如何によっては多摩センターの価値や街の性格も一変してしまう。 私はここに多摩市の中枢機能としての市役所及びその関連する施設をもってくるということが望ましいと思っている。
 そのことによって多摩センター地区の核ともなり、多摩市の「センター」(中心)ともなるはずである。用地の確保は都市再生機構との交渉如何にかかっているが、実現するためにはここでも地域政治家の出番が必要になってくるだろう。
 明治維新では「都」を京都から江戸(東京)に移して人心を一新させ維新を成し遂げた。 東京都庁は丸の内から、西新宿に移り、副都心と位置づけたが今や完全に都の中心地区に一変した。古くは奈良の大和、平城京などの遷都により、新たな政治を進めてきた経過から見ても時代の転換期を乗り越える手段としての遷都ともいうことが出来る。
 多摩ニュータウン開発という一大転換期を迎え40年を経た今、遷都の必要性を痛感している。施工者の撤退した後の住民によるまちづくりの第一歩が多摩の新庁舎を多摩センターに移すことから始めるべきだろう。次回に続く。 080501号掲載

【筆舌】このままでは街を支える人が居なくなる

 平和で豊かな暮らしは誰もが望むところではあるが、その望みが叶えられることは難しい、それが社会の現状である。
 ところがわが国は戦後そのような2つのことを手にすることが出来た。
 そして多摩ニュータウンという開発によって一層実感できる状況になったのだ。それが当たり前のように受け止められて、未来を担う子供たちに対してマイナスになるような育て方をしている親のことが問題であると、つくづく思つている。つまり親に危機感がないから、親たちの精神が緩んでしまっていて、生ぬるい状態になっている。
 街の現状は経済的にもまあまあの状態で食べることにも住むことにも困らない。着るものにも困らない。緑の自然にも恵まれている。道路や河川の管理なども住民がしなくても済む、防犯防災についても警察や消防署が身近にあって安全が守られている。
 このような恵まれた街になってきて、後は子供を甘やかす方向に向かって行くしかなくなってしまっている。可愛い子には旅をさせろというが、少子化ということもあって、子供はどんどんひ弱になっている。外の風に当たるのはイヤ。辛いこともイヤ。労働もイヤということになると地域経済も衰退する。
 生活が困難になると自分の責任でないことを声高に言い立てる。
 人はお互い傷つき合って成長し、相手を思いやる気持ちを育てるのである。傷つき合うことを恐れることからは思いやりの気持ちが育たない。
 平和で豊かな余裕ある社会の中で自立した子供を育てることは非常に難しいからである。「何でも整った便利な街では子供に我慢させることは至難の業なのよ」と子供をもつ若い母親の述懐である。
 夢に見た平和や豊かな経済力を手にしたこと、それは素晴らしいことには違いない。問題はそれに慣れてしまっていることである。
 私たちのすべきはこの素晴らしい街や社会を得たことの余裕とエネルギーを、子供たちを過保護に育てること以外に振り向けることであり、そうでなければ新しい街の未来はない、いや日本の未来もなくなる。このままでは新しい街を支える人が居なくなる恐れがある。 080401号掲載

筆舌 横倉舜三 中国産冷凍ギョーザ事件に思う

 私たちの食卓に不安を抱かせた中国産冷凍ギョーザによる中毒事件は、その毒物が製造や流通の過程のどの時点で、なぜ混入したのか、その真相は明らかにされていない。
 それだけに各新聞はこの1カ月の間、連日のように多くの紙面を割いて報道を続けてきた。もちろん食の問題は人命にかかわることだけに真相を究明し原因を明らかにして頂かなければならない。2月の初めのころは厚生労働省には「中国産冷凍食品を食べても大丈夫か」などの問い合わせが相次いだという。
 現在も毒物混入の真相がつかめていないため、中国産冷凍ギョーザの安全性に疑問を持つようになってくるのも当たり前の話で、消費者は自己防衛のためにも自分の食べる食品は自分で作ろうという機運が高まったのだろうか、このところギヨーザを作る機械がよく売れているという。またギョーザの材料の「ニラ」も最近売れゆきがいいらしい。このこと自体は食の安全を考える上で重要なことである。
 消費者もまた値段の安さばかりを追求するのではなく安全のためコストを負担することも覚悟すべきであろう。それにより業者はもっと安全を確保することに意を注ぐことができるようになるのではないかと思う。 同時に私たちは食糧自給率の向上についても考えてゆく必要があるだろう。小さな土地でも家庭菜園などにも活用できる。
 私たちは戦中・戦後と、食糧難の時代を経験し、それを乗り越えてきた。戦後の高度経済成長の時代は農村の働き手が奪われ、さらに減反政策と耕作放棄によって日本の食糧の自給率は40%を割り込んでしまった。減反と耕作放棄の面積は埼玉県の面積にも匹敵するという。
 私たちは自分たちが消費する食糧を生産し自給することができない国民になってしまったようだ。大災害が起きた時、どうするのだろうか。
 かっての多摩地域の住民は90%以上の自給率を確保していた。多くの田んぼや畑をつぶして作られた多摩ニュータウンには、いまもって使われていない土地が無数に残されている。これらを「都市菜園」として利用できれば街に潤いが生まれ、食糧自給にも役立つと思う。 080301号掲載

筆舌 横倉舜三 公的開発の都市に警鐘は鳴らされている

 本年も各市の消防団の出初式が行われた。以前には出初にも半鐘が鳴らされた。
 …半鐘が鳴っている。火災である。しかも近火だ。住民は一斉に煙があがっている方向を見定める。そこは誰々さんの家ではないか。消防団はポンプ車で駆けつける。近所の人たちも火災現場へと向かう…
 火災の恐ろしさは、何世代も守り続けられてきた家も一瞬のうちに火に包まれ灰塵に帰してしまうこと。今でも火災を知らせる半鐘の音は異様に、しかも何かの警鐘のように聞こえてしまう。
 この多摩丘陵も戦後の占領下にあっては内発性が抑えられていたが昭和三十年代になって漸く自主的な動きが始まり、やがて世紀の大開発へと繋がってきた。
 その開発も公的開発と位置づけられ、官主導の街づくりが進められてきた。その結果、永年地元住民の自主的な活動により培われてきた地域の習慣や連帯性は希薄になってしまった。
 地元の人たちは土地を手放し、仕事を投げ打って協力してきたにもかかわらず街づくりの一端を担うどころか、片隅に追いやられてしまっている感がある。
 年長者の間で内発性が加速度的に薄れてきたことも影響しているのか、時代の先き行きに不安を抱えている若者たちの間にも心の底から湧き出ずるようなエネルギーを感じられなくなっている。
 政界も、ねじれが続いている。前国会の与党はただ新テロ法案を通過させようとしているだけで、野党は代案を出したもののあくまでも反対するだけだった。その間には大連立構想の動きもあったが具体化はしなかった。
 ただ両院議長は双方との調整を行い、新しい話し合いの場も作ることができたのではないかと思う。対外的にも国家の信頼を維持し国民のための政治行動であったのか問われる国会であったように思う。
 地域の自治体にとっても同じようなことが言えるのではないか。公的な計画都市開発と言われた多摩ニュータウンは、いまや無法地帯のような都市づくりが進められているような気がする。
 これらに対し、警鐘が鳴らされ続けている。地域の政治家たちにこの音が聞こえているのだろうか。 080201号掲載

筆舌 横倉舜三 ~正月の伝統行事にも深い意味が~

 正月には昔からの様々な伝統行事が行われる。それは未来に向かって出発の時を祝う節目、折り目だからである。一年の始まりという節目にそれぞれの家庭では暮の内から、家や屋敷の大掃除、門松を立てたり、餅を搗いたり、雑煮やおせち料理の材料を調えて新年を迎える。
 元旦を迎えると各家庭では朝早くから若い人たちが年男となって若水を汲み身を清め神々に灯明を灯し、御供え物をして、家族揃ってお雑煮で元旦を祝う。
 これからの一年間ご近所の皆様にはお互い助け合ったりするので、両隣りを始め二十数軒の家々に新年の挨拶に回る。この地方では「郷礼」と言っている。
 この行事は近所の人たち二、三人で若い人は年配の人の後について回ることにより、それぞれの家の様子や暮らし方を学ぶ大事な機会の一つになっていた。
 だが戦後から神社や集会所に集まって初顔あわせをすることで略されてしまった。親戚などへの年始回りも重要な情報収集の機会でもあった。
 元旦の小学校では分校などの生徒が本校に集まり、年の始めの式典が行われた。生徒たちも全員袴を着けた礼装で臨む式典では、校長先生が白い手袋で教育勅語を読み上げる光景を知る人も少なくなったであろう。
 このような行事や習わしは無駄なように思われるが、同じ地域に住む人々とのつながりを深める役割を果たしていたものと思う。こうした仲間意識が失われた現在、ひとたびこの地域に関東大震災規模の災害が起きた場合にはどうなるのだろうか。
 また道徳の退廃も目に余るものがある。警察官が盗みをしたり自衛官が秘密を漏洩し賄賂を貰い、親が子を子が親を殺害したり…これらの問題を省みる時、地域行事から生れてきた“美徳”というものが抹殺されたことも関係しているのであろう。
 今これらに変わる新しい美徳も生れては来ていない。私たちはこの退廃に立ち向うためには単に道徳の復活を叫ぶだけでは始まらないようだ。
 先ず日本の伝統的美徳がいかなるものであるか、もう一度その原理と価値を問い直すことが必要なのではないか。何気ないしきたりにも深い意味があることに気づく。  080101号掲載

筆舌 横倉舜三 ~市民の手による映画製作の意義は大きい~

 “新しい街”といわれてきた多摩ニュータウンも、多くの人たちが自分のふるさととして今見直そうとしている。
 その動きの一つが市民によるドキュメンタリー映画の製作である。
 この映画を企画した最大の理由として「私たち住民の生き生きとした活動を発信し、ふるさとへの熱い思いをいろいろな世代の人と分かち合いたい」と製作委員会は語る。
 最初の入居から36年が過ぎて街の現状はどうなっているのか、住民自らがこの街を再認識することから始めようとしているのだ。
 開発初期の地区では高齢化が進み、独居老人や若者の流出が目立ち、一方で団塊の世代が地域に戻りつつある。
 住宅は高層化や建て替えでの問題も起きている。急速な車社会への変化により商業の大型拠点作りが進み、中小零細商店の衰退も起こっている。
 女性などにとっても近くに職場が少なくなり経済的な恩恵も得にくくなったと嘆く、また地域の問題に対する責任を持つ者の不在の時代が続いている。
 古い地域組織に代わるコミュニティをどうやって再生していくか、課題は山積している。
 これらの課題にどう取り組んでいるのかまたどう解決していくのか、映像で全国に発信していこうとしていることの意義は大きい。
 これまでの開発は官主導によるもので住民はいわば受身の姿勢で推移を見守ってきた。
 しかし官は街をつくって街から去り、その後も住民はこの地で暮らし続けていかなければならない。住民自らの手による今回の映画製作は地域が自立に向かって新たに歩み出したことを意味している。
 製作に当たって住民が知恵や労力そして資金を出し合って作るところに意義があると思っている。
 自分が住む街のために役立つことをしたという思いが、愛する街多摩ニュータウンの再生へとつながる。
 だがなんといっても完成させるためには製作費の捻出が大きな課題。
 文化庁などからの助成金を見込んではいるものの多くは住民の方々の援助協力によるもので、製作委員会は協賛者の参加を呼びかけている。 071201号掲載

筆舌 横倉舜三 生活環境の危機を知らせる使命

 小鳥がけたたましく鳴いているときは、小鳥にとって危険が迫っている時なのです。
 小さな地域新聞でも紙面で問題点を訴え続けている場合は、その地域に危険が迫っていることになる。鳴き声を出せば鳥の居場所がわかってしまうので、かえって危険なのではと思いますが、実は小鳥も一羽では生きて行くことはできないのです。そのため仲間に危険を知らせて、共に生きていこうとするのです。    
 かつては自宅の裏山などではいろいろな小鳥が鳴き競っていた光景を見てきた。ある時、家の土間の天井に巣を作り、子育てをしていた「つばめ」の親鳥が突然けたたましく鳴き騒ぎ家の中を飛び回っている。見ると天井の張に青大将(へび)が巣に迫っている。燕は鳴き騒ぎ人間にも助けを求めているようであった。
 人は集団を作る上で必要な言葉や文字を持っていて仲間や多くの人々に情報を伝えることもできる。言葉や文字は、人々が平和に暮らしてゆくための大切な道具となっている。その言葉に代えて文字で情報を伝えるのが新聞である。
 街づくりなどで危険が迫ってきた場合には住民からけたたましい声が上がってくることもあるだろう。その時こそ地域情報紙の活躍する時だと思っている。
 ◇地域の行政や法人などが独断で住民のためにならない行為を行っている場合など◇災害が発生し非常事態となったとき◇議員などの地域政治家が現状にあぐらをかいているとき◇公職にあるものが利権や私欲に走ったとき…などが考えられる。
 私たちがこの大開発を受け入れた最大の動機は、庶民の生活圏の確保と地域経済の振興であった。しかしそれらの目的は、今や用地と共に公益法人に占められてしまい地元産業の振興には役割を果たさなかったことなども地元の危機とも言えよう。
 本紙も地域の皆様からのご協力とご支援により「多摩公論社」として発足して以来38年が経ち、本号を以って800号を数えることが出来ました。数々のご協力に対し、心から感謝を申し上げます。
 これからも地域の皆様の自由な意見を尊重し掲載するなど身近な情報を伝え「言論の自由」「伝える義務」「知る権利」など勇気を持って誠実に編集に当たっていきたいと思います。 071101号掲載

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