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多摩ニュータウンタイムズについて
多摩ニュータウンの入居開始を控えた1969年、新しい街の地方紙(地方新聞)として創刊し、以来、多摩ニュータウン及びその周辺地域(多摩市、八王子市、稲城市)の皆様に最新ニュースや生活情報などを提供してまいりました。今日まで読者の方々をはじめ皆様からのご支援を頂き、おかげさまで創刊40周年を迎えました。 今後ともご愛読を賜りますようお願い申し上げます。 配布エリア:多摩ニュータウンの全域(多摩市、八王子市、稲城市)

明日を拓く Archive

明日を拓く ~夢に向かって親子鷹~柏木タカシさん

 10月15日、新宿・コマ劇場のステージで熱唱する柏木タカシの姿があった。水前寺清子や大泉逸郎、瀬川瑛子といった大物先輩歌手に交じり、引けをとることなく歌い上げた。
 多摩市立和田中学校に入学と同時に歌のレッスンを始め、18歳で中山大三郎作詞・歌の師匠である山田年秋作曲の“男は孤独が好きなんだ”でデビュー。前年高校2年の時母を癌で失っていた、カップリング曲はその母を歌った“銀河エレジー”府中高校に通学しながら歌手活動、テレビ出演も果たす。“2000年2ndシングルをリリースするも地方廻りが続く。06年柏木隆之を柏木タカシに改名、“桜の花びら五線紙に”“母は綺麗な女だった”で巻き返しを図る。ミニ・アルバム“青春のグローリー”発売。翌年フリーボードに移籍し“スローワルツの淡雪か”“同窓会”で勝負に。舟木一夫や三田明を彷彿とさせる昭和歌謡をリズミカルに平成の若者テイストで唄い、年配の人には懐かしく、好評。この全くタイプの違う二つの曲を唄いきる力量はライトの当たらなかった20代の下積みの日々に培われたのだろうか、初めて聴く人たちも一緒に口ずさみ、手拍子も沸き起こる。この曲で一気にブレイクに持ち込みたい!この歌を引っさげて同窓会・歓送迎会等に歌のデリバリーを展開。トークを交えたラジオ番組、地域のイベント、ライブ活動、レコード店頭での営業、仕事を選ばず頑張って来た。その甲斐あって、デビュー10年を迎え追い風が吹き出した。京王プラザホテルでのランチショーは盛会、永山健康ランドでの月1回のショーも定着。そして5月に出演した日本歌手協会 第13回「輝け!歌の祭典」から推薦され、大物先輩歌手が集う『~日本歌手協会発足45年!さよならコマ劇場~第35回歌謡祭―歌でつくろう未来(あした)の地球―』の舞台に立った!
 もともと父が好きだった歌謡曲、その影響を受け進んだ歌手への道。いつもそばに父が寄り添い支えてくれ、父と夢に向かって歩いてきた。今飛翔の時、ギターの腕も上がった。社交ダンスも山川豊さんに誘われレッスンに通っている。全てが芸域を広げる事に繋がる筈。「聴いて下さる人に心が届くように一生懸命唄っていきたい」その言葉を誰より父が喜んでいる。「マネージメントは誰かに委ね見守っていきたい、タカシは新しい明日を拓いてゆくだろうから」。 081101号掲載

明日を拓く 二足のわらじの戦い続く 北村大輔さん

消防署員として、プロを目指す。 湘南・鵠沼海浜サーフビレッジに常設されているビーチバレーコート。日本で初めてビーチバレーが行われた場所。稲城市消防本部に勤務する北村大輔さん(27歳)は非番の時間、ほとんどここで練習に汗を流している。
  高校で“春の高校バレー”や“神奈川ゆめ国体”に高知県代表主将として出場。大学では“全日本インカレ”でベスト16。室内バレーで活躍して来たが、大学2年の夏ビーチバレーに出会った。大学では室内とビーチ両方続け、選手生命が長いこと、クィックネス、ジャンプ力が活かせる…と卒業後ビーチバレーに転向。03年全日本ビーチバレー大学選抜選手に、第3回JОNJОN CUP in グアム大会優勝。しかし、U‐23世界選手権を目指していた最終選考合宿で右肩を負傷してしまう。受けた手術が失敗、右腕が全く上がらない…。
  10カ月後の検診で癒着していると診断され1年後に2回目の手術。それでも改善されなかった、バレーは出来ないのか…。一縷の望みを繋いで小山祐史トレーナーを鳥取に訪ねた。そこでの合宿中、右腕がかすかに上がった!もう一度競技を目指したい!リハビリをしながら神奈川県座間市東中学校の教員に。女子バレー部のコーチとなる。中学生たちのバレーに賭ける情熱とパワーに励まされた、県大会準優勝を勝ち取り、高校に進学した教え子がインターハイ出場、触発された。自分もこのままでは終われない、モチベーションが維持出来、練習時間がとれる職場、迷うことなく、稲城市消防本部に入庁。東京都で最後の自治体消防ということも魅力だった。昨年消防学校の訓練を終え、勤務の間を縫って練習。9月5日“ファイテンジャパンツァー第5戦岡山オープン”が4年ぶりの試合、復帰戦となった。「身長176㌢、消防署勤務の責務、ハンディだらけ、根性だけで頑張ります。『稲城FD(稲城消防本部)/KLB(鵠沼ビーチバレー)』として日の丸をつけてプレーするのが夢」と日焼けした顔に白い歯がこぼれる。
「勤務体制が許す限り応援したい、職員育成の刺激になればいい」と大久保武文稲城消防署長。
 来年、日本でベスト8、アジア選手権に出場を当面の目標に北村さんの二足の草鞋(わらじ)の戦いは続く。  081001号掲載

明日を拓く ~進化 真価 深化 NEXT~ 大宮アルディージャ佐伯直哉選手(多摩市)

クラブハウスにて プロサッカークラブ「大宮アルディージャ」の練習グラウンドは埼玉県志木市にある。訪ねた日は雨。NTT東日本志木総合グラウンドに佐伯直哉選手の姿があった。降りしきる雨の中黙々とボールを追う姿は修行僧を想わせる崇高さ。プロの厳しさを垣間見た。
 佐伯直哉さん(30歳)、多摩市出身、小3から東寺方サッカー少年団に入りサッカーを始め、和田中学校入学とともに読売SCジュニアユース(現東京ヴェルディジュニアユース)に入り、都立永山高校に通学しながら読売ユース(現東京ヴェルディユース)で基礎を培う。この頃、プロになることを意識したという。
 93年にはU-17日本代表に。国士舘大学に進学、サッカー一筋の人生へ。大学ではキャプテンを務め、97年、99年とユニバーシアード代表に選ばれる。スカウトされプロの道へ。“ジュビロ磐田”、“ヴィッセル神戸”を経て、現在“大宮アルディージャ”、トップチーム、7番、МFだ。
 選手としての道は怪我との戦いでもあった、6回に及ぶ怪我、なかでも、03年には膝の前十字靱帯断裂で手術、1年に及ぶ療養。それでも常に前向きで、復帰のことしか考えていなかった。「自分の好きなことが仕事になった、だからどんな状況ででも100%力を出すこと、それがプロだと…」気負いもなく語る。「マンガ“キャプテン翼”に憧れたのと従兄がサッカーをやっていたことに触発され、あとは夢中でしたね」。佐伯選手がサッカー少年だった頃のことを「上の学年に入ってプレーしていましたよ、ともかく頑張り屋だった」と東寺方サッカー少年団会長の朝倉泰行さん。「当面は、1年でも長く現役としてやっていたい。試合に勝つ事は至上命令、しかし、そのプロセスで日々学んでいます。子どもたちにも志を高くもって頑張ってほしいので、将来指導者として貢献できたらと考えてます。大好きなコーヒーショップでもやりながらね」と笑顔を見せた。アルディージャ広報担当課長の秋元利幸さんは「チームになくてはならない存在、いない時に存在感を感じます。大宮にずっといてほしい」と話す。
 9月13日、味の素スタジアムでFC東京と、10月18日には東京ヴェルディとの対戦がある、味スタで佐伯選手の戦いぶりを観戦したいものだ。 080901

稲城の人、まちがさらに輝くよう情報発信で貢献

横山 のりこ さん 『稲城市』の情報を広報・ホームページで市・内外に伝える稲城市秘書広報課広報公聴係。
 稲城市の行事のある所、必ず横山のりこさん(36)の姿がある。デジカメをかざし、機敏に動きまわる。普段、庁舎にいる時は穏やかな笑顔、丁寧な対応が定評の横山さんだが、取材の現場に出ると撮り直しのきかない瞬間を記録する真剣勝負に挑む表情を見せる。“稲城の魅力を伝える!”熱い想いが額にキラキラ輝く汗となる。
 平成13年に現在の部署に移ってから「やさしいホームページ・広報紙づくり」の為に工夫を重ねてきた。ホームページの文字の拡大、音声での読み上げをいち早く導入する等、市の情報が行き届くようにと研究は怠りない。各報道機関の記者が横山さんのお世話になる情景も定着した。
 平成5年に入庁、文化センター課第三文化センター係として第三公民館担当となった。ここで、教室や講座の講師を依頼する仕事を通じ色々な知識や資格、経験を持つ地域の人に出会い地域は人材の宝庫と知る。また、子育て支援情報紙づくりを手掛けた事で若いママたちから「こんな情報紙が欲しかった」という声を聞き、役立つ情報を届ける喜びを実感。「第三公民館での経験が今の私につながる」と横山さん。「発信した情報について問合わせや反響があった時、伝わった、共感してもらえたと実感できうれしいですねえ、そこから話が広がり、新しい情報を得ることもあり、幸せを感じます」。地域と市の共催事業などに、ぜひカメラマンにとオファーが来るようにもなった。もっと喜んでもらえる写真を撮りたい、そのために自前でカメラを購入したという。
 この仕事がまさに天職の横山さん、「人やまちの“旬”を逃さないよう、ダイエットし、フットワークよく駆けつけられるようにします」。多忙な仕事の中でもジョークをまじえるゆとり、天性の明るさ、性格もふくよかなのだ。
 石川良一稲城市長も「市民活動に理解が深く、取材も精力的に取り組み、窓口での対応も誠意が溢れている。かけがえのないスタッフです。仕事一辺倒でなくそろそろプライベートの幸せも…」と目を細める。 080801号掲載

初心貫徹 努力には結果が 黒田雅之さん(稲城市)

トレーニング中の黒田選手。新田ジムにて。 黒田雅之さん。21歳。プロボクシング・ライトフライ級06年度全日本新人王獲得、MVP受賞。東日本新人王技能賞を受賞した新田ジム所属A級選手。
 稲城生れ、稲城育ち。稲城市立第三小から一中へ、生粋の稲城っ子だ。永山高校卒。小1の時始めた剣道は中3迄続け2段の腕前。身長167cm。体重50kg。しかし「剣道は体重別がなく背の高い人にはかなわない、階級性のあるスポーツがやりたい」と思うようになった。高1の頃、立川のジムで軽いトレーニングを始めた。その年の冬、雑誌「ボクシングマガジン」で日本初の国大卒チャンプ新田渉世さん(第32代東洋太平洋バンタム級チャンピオン)が向ヶ丘遊園駅近くにジムを開く事を知り入門。ここに入ってからはモチベーションもスキルも高まった。きつい練習も楽しんでやることが出来、05年プロテストにも合格した。現在新田ジムA級選手として世界制覇を目指す。「才能がありボクシング界でも評価は高い、頑張っていけば世界を狙える」と新田会長。
 黒田さんの日常は稲城・川崎街道沿にあるファミレス「デニーズ」でバイト、高1の頃から6年間ずっとここで働いている。夕方にはジムで中身の濃い練習を黙々とこなす。若いが“努力”と“根気”の人だ。
 ファイトスタイルは右、得意は右ストレート。プロ戦績は13戦11勝(8KO)2敗、KО勝ちにこだわるハードパンチャーではあるが「KО勝ちよりやはり内容が大事」「当面の敵は自分」と謙虚さも。
 5月21日の『新田ジム主宰興行ホープフルファイトVol・3』では橘悟朗(エディタウンゼント)と対戦、序盤はクリーンヒットを重ねるものの相手もタフ、打ち返される場面も、しかし5ラウンドからはアウトボクシングを交え出入りし自分の距離で戦うもKОはならず当人には不本意の判定勝ち、しかし、長年剣道で培った間合いの取り方が活かされた。
 知的な新田会長と孫創基チーフトレーナーに見守られ、尊敬するボクサー、リカルド・ロぺスのようになるのが目標。趣味は散歩、えぇ?若いのに…「稲城の街が好きなんです」と、はにかむ黒田雅之さん。
 稲城にWBA世界フライ級チャンピオン坂田健史さんと黒田雅之さん、稲城のボクシングファンは一層ヒートアップ間違いなし! 080701号掲載

みんな幸せになるために心に栄養を シニアベジタブル&フルーツマイスター 武田由季さん

080601takedayuki.jpg 6月は食育月間。今“食べる”ということが難しくなっている時代。「野菜ソムリエ」という仕事はそうした時代のニーズを捉えて生まれたのだろう。野菜と果物、このあまりに身近な食材、でも意外に分からない事、疑問も多い。種類・旬・保存方法・栄養価・食べ方のバリエーション、知っていると思う以上に魅力がいっぱい。その魅力を知れば野菜嫌いの人も食生活が愉しく、豊かになる筈。
 武田由季さん(32)、日本ベジタブル&フルーツマイスター協会認定のシニアの資格を持つ野菜ソムリエ。野菜と果物の美味しさや楽しさを理解し伝えることの出来るマイスター以上の資格を持つスペシャリストが「野菜ソムリエ」と呼ばれる。更に「ベジフルビューティーセルフアドバイザー」、スパイスコーディネーター協会認定「スパイスコーディネーター」の資格を持ち、ハーブについても造詣が深い。幅広い知識を活かし食品メーカーのレシピの開発も手掛け、全国の小学校の児童にベジフルティーチャーの出前授業やカルチャースクール等で生活習慣病予防や心身の健康を意識した野菜・果物の摂取量についての啓発・生活の中での食べ方・楽しみ方の提案や講演活動にも力を入れている。
 大学は法学部、司法書士事務所で働いた後、結婚。学生時代から知るご主人の体型が変わっていき、「私が何かしなければ、食の見直しを」と野菜ソムリエの講座を受講。野菜をメインの食材に選べば食卓が華やかになることに気づいた。苦手な野菜も旬の物を料理する事でその美味しさを知り、野菜を理解して食べる事の大切さを実感、野菜や果物は身体の内・外だけでなく心にも影響を与える事を多くの人にも伝えたいと思うようになった。
 「野菜や果物が好き、沢山食べたい、という人を増やしたい。また料理が苦手…、忙しくて…、という人でも作ってみたいな、と思ってもらえる、美味しくて作りやすいレシピやさまざまな状況の人に合ったレシピを開発していきたい」と微笑む武田さんの綺麗な笑顔に秘めた情熱を感じた。 080601号掲載

地域と市民を結ぶSNS

反町宗一郎さん(左)と山野篤さん(右)SNSとはソーシャル・ネットワーキング・サービスの略で、会員制のウェブサイト上で個人情報を公開し、会員同士友人を紹介したりして知り合いを増やすことの出来るコミュニティ型の機能を提供するサービス。そのネットワークが目に見えることが楽しさの主要因、2チャンネルのように誰でも参加できる掲示板やチャットルームは荒らされることもあるが、SNSは相対的に閉じられた共同体なので安心感が高い。地域SNSは地域のつながりを求めたオンラインを形成しつつあり、近年は官庁や自治体が地域おこしの有効手段として注目している。
 地域の身近な行事や活動・ニュースを「映像」で伝え、地域の情報の発信と受信、地域での仲間づくりや災害時にも活用出来る。地域SNS「ネッツたま」で地域と市民の放送局(CRNS)を運営しているのは山野篤さんと返町宗一郎さん。2人は多摩大学経営情報学部卒、23歳。在学中から映像媒体でコミュニティづくりと起業を模索してきた。「耳をすませば」10周年記念コンサートの手伝いや関戸花火大会の記録ビデオ制作を多摩市から請け負い、多摩地域との関わりが生まれた。就職率100%を誇る多摩大で、2人はあえて“地域メディアを展開すること”を選択。
 昨年10月から3月まで多摩テレビで放映された「みんなの地域活動」、愛称“みんちかつ”は地域の市民活動団体の紹介や活動内容を伝え、ボランティア参加へのきっかけとなり、また団体が提供するサービスを利用してもらえれば、と多摩NPO協会が制作。2人は会員でディレクターとして参加した。“みんちかつ”を手掛けたことで見えてきたこと。「愉しさを伝えること」とソフトウェア系の山野さん。CRNSの代表と司会等を務める。返町さんはメカに強くハードウェア系。撮影等を担当、「カメラワークの機動性、色彩の出し方」にこだわる。映像理論や撮影技術を体系化、撮影出来る映像に幅を持たせるカメラを増やしたい。現在Pod Castingで配信している映像をより多くの場所で配信し、生中継でリアルタイムに情報を伝えたい、と2人の目標は広がる。なにより地域メディアをビジネスとして確立すること。ソフトウェアとハードウェアの2人がタッグを組んで創り出す市民メディアはどんなベクトルを描いていくのか。
 メディアは単なる情報の伝達手段ではなくそのあり方いかんにより伝達内容も変化させる。社会とメディアのあり方はメダルの裏表、近代日本の首都一極集中化のもとでは全国紙や国家的メディアが強く多元的な地域振興が失われていた。今、地方の時代といわれる中、プロやマスメディアがカバー出来ない地域情報や専門情報を追求したり、オルタナティブな言論の場として住民の生きがいを満たす営みとして地域メディアは期待されている。 080501号掲載

金沢駅前にやかんのオブジェ 三枝一将さん(稲城市)

080401saegusakazumasa.jpg 石川県・金沢駅と金沢21世紀美術館を結ぶ「アートアベニュー」を彩ろうと、「金沢まちなか彫刻作品・国際コンペティション2006」が開催されて今回で2回目。国内外から470作品の応募があった中、最優秀作品に輝いたのは、稲城市坂浜の三枝一将さん(36歳)。
 三枝さんの作品『やかん体・転倒する』は蓋と本体の2つのパーツからなる2mほどの鋳金のオブジェ。この5月から金沢駅東広場バスターミナル内緑地に設置される。金沢市企画調整課では「日常生活品の中にアート性があり、芸術と日常の橋渡しをしてくれるもの。駅の入り口で訪れる人に街の暖かさを伝えられるぬくもりのある作品が受賞の理由」と話す。
080401yakan.jpg 三枝さんは東京芸術大学大学院美術研究科工芸専攻鋳金研究分野を修了し、現在は同大鋳金研究室で非常勤講師を勤めている。大学の後輩で奥様の巽水幸さんも鋳金作家で、2人で「いもの道具 みちくさ」としてユニット活動も展開している。
 三枝さんの作品は、蝋で原型を作り、鋳型にして焼成し、銅や錫、亜鉛等の融けた金属を流し込む蝋型といわれる技法で、一品ずつ手作りで制作される。こうして生まれる鋳物の質感や存在感は板金などとは違う独特の風合いを備えている。花器や水差しなど、どれも重厚間を持ちながらどんな空間にもおさまりがいい。古い日本家屋でも、北欧風のスタイリッシュなインテリアにも調和する。
 神奈川県出身。奥様の友人がアトリエを持っていた関係で稲城に移り住むことに。民家を手直しした坂浜のアトリエ兼住まいも物づくりにこだわった佇まい。このお宅は建築情報雑誌「チルチンびと」(風土社)に紹介された。
 「金沢・まちなか彫刻作品・国際コンペティション」応募動機は、抽象的な作品からわかりやすく観て愉しめるを大事にし新しい試みに挑戦しようと思ったこと。「観て下さる人とのコミュニケーションを大切にしたい」と三枝さん。
 三枝さんの挑戦は金沢で認められた。北陸を旅する事があったら駅の広場に足を向けてみよう、大きなやかんがあたたかく迎えてくれる筈だ。080401号掲載

明日を拓く 夢を信じ叶える力 Shifoさん

お客さまやスタッフと(右から3人目2人目くーぺ&Shifo) Shifoこと岩水志保さん(多摩市豊ヶ丘)、国立音楽大学ピアノ科を卒業後OLをしていたが、27歳の時音楽で生きたいと「stand by me」のバイトに。1日3600円のバイト代につられスタッフになったものの、そこは“とんでも”店だった。マスターのクーペさんは酒癖悪く、糖尿病で働かない。借金取りに追われサウナ暮し、人相もおっかないから、一見さんのお客はビビッて店に入ってこない。たまにお客が来ても注文された品をその度コンビニに仕入れに走り、支払いに1万円札を出されると釣銭も両替に走る。当然店は赤字続き、何度も潰れかけた。
 「やめなさい!」「やめよう…」。しかし、師匠クーペさんの才能、憎めない人柄、夢を信じ叶えようとする力に強く魅かれた。クーペさんもShifoさんのピアノの技量と曲づくりのセンス、そして心に沁みるハスキーな歌声、類い稀な才能を高く評価していた。「クーペ&Shifo」のユニットが生れた。2人の夢に賭ける情熱が人を呼び、奇跡を起こす。スポンサーになってくれる店のお客や、またお客同志が持ち出しでバンドを結成し、定期的にライブも。この“親父バンド”も昨年国立一橋大学兼松講堂でデビューを果たした。林家三平門下で弟弟子だったやはり“落伍者”のらぶ平さんも、クーペさんの頑張りに触発されて再起に賭ける。「多摩おこしも人おこしも同じ」と地域の人たちも応援してくれ、アウラホール(桜ヶ丘)でのコンサートや地域のチャリティコンサート、老人ホームなどにも声がかかるようになった。2006年Shifoさん提供のmihimaru GTの「気分上々↑↑」はレコード大賞作曲賞金賞を受賞という快挙。昨年8月には東京フォーラムのステージにも立った。11月には「がんばらないで」「店においでよ」でテイチクからメジャーデビュー。
 一通の手紙から劇的な再開を果たした娘・幸江さんも上京して父をサポートすることに。28年ぶりに新たに父と娘として向き合う生活が始まっている。
 Shifoさんは音楽プロデューサーとしても活動の場が広がった。クーペさんとShifoさんの夢を信じる力が数々の奇跡を呼び起こした。桜ヶ丘の賑やかな通りを一歩入った路地にある小さなライブバー「stand by me」。ここは奇跡の起きるスポット。クーペ&Shifoの待望のNHKホールでのライブコンサートは4月13日18時。  080301号掲載

明日を拓く 「誇れる父親になって娘に会いたい」クーペさん

 落語家から落伍者に、噺が落ちずに自分が落ちたクーペさん。25年前に別れたきりの娘・幸江さんからの手紙。養育費も送らず放ったらかしにしてきたが忘れたことはなかった。恨まれていると思い込んでいた。
 その娘は周りに気遣いが出来る優しい大人に成長していた。今思い知った。破天荒に生きてきた自分に欠けていたものは周りへの思いやり。酒もギャンブルもきっぱりやめた。出せない返事を歌にして店で歌った。たまたま店の客が東芝EMIのプロデューサーで55歳にしてCDデビュー。娘に届けと願いを込めて曲を次々と作り出す。会えても会えなくても誇れる父親になろう!密かに店のトイレに「誇り」と書きつけた。
 しかしCDは売れず、Shifoさんと世界を廻るピースボートに乗る。水平線を見つめる日々。日常の些細なことに捉われ生きることはつまらないと悟る。その頃から支援してくれる人も増えてきた。新宿西口公園でホームレスの人が見つめる中でのコンサート。05ニッポン放送主催、日比谷野外音楽堂での単独ライブ、そして胸に期して福岡でのコンサート。ひょっとしたら娘が来てくれるかも。140万分の1の確率に賭けた。たまたま入った店の主人の紹介で、“娘を探して握るマイク”と新聞に掲載された。しかし、幸江さんは再婚した母と新しい家族の中で幸せに暮らしていた。大事にしてくれる養父への思いやりから、クーペさんに会いには来なかった。
 4日後、関戸の店で倒れた。Shifoんが南部地域病院に搬送。脳梗塞右半身麻痺、重篤だった。8年前から糖尿病も患っていた。荒んだ生活がたたったのか言葉もハッキリせず、右手が動かなければ絵も字も描けない。この先歌えるのか、暮らしはどうする…。せっかく芽を出した弟子のShifoさんの夢も潰してしまう…。ストレスと不安が限界に達した時、故林家三平師匠のおかみさんから手紙が届く。支援してくれている人達のために諦めてはいけない!リハビリのため多摩丘陵病院に転院。字、なかなかうまい。負けてない、相田みつをに。俺なんて5秒で書き上げる(クーペ談)人知れずトレーニングもした。コンサートで笑ってもらいたい。なのにこんな哀れっぽい姿では笑ってもらえない!11月に、よみうりホールでのコンサートが迫っていた。病院の反対をおして退院。絵もスゴイ。落款がなければ大家の絵画と見まごう(クーペ談)店で歌いながらリハビリを続ける。右手を庇いながらもステージに立った。「天国に行ったけど、そこでも破門になって戻って来ちゃいました」。そしてその年のクリスマスイヴ。ホームページで父の病気を知った幸江さんから、初めての電話が…。別れた妻にソックリの声。最高のプレゼントだった。 つづく   071201号掲載

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