カテゴリー別アーカイブ: 【特集】多摩NT30年を検証

【9】今なお残る未利用地
生業をなくした人たちの歴史がここに

◇はじめに  多摩ニュータウンの開発は土地の収用から始まったといえる。三千ヘクタールに及ぶこの近代都市の発展の陰には多くの土地所有者の思いが込められている。  昭和三十九年当時、ニュータウン区域内には約九百六十ヘクタール … 続きを読む

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【8】都心回帰に流れは変わる
都心の動向に左右され続けてきた多摩
値下がりした分譲マンション
菜園付住宅などが脚光を

 私たち、多摩地域に住みながら生活をしてきたものにとって、絶えず都心の動向に気を配っていなければ遅れていってしまうという状況に常に置かれていた。  そのように都心の動向に合わせようとしたことから都市に集まる人たちの住宅地 … 続きを読む

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【7】当時をふり返る永山の馬場益弥さん
あきらめではない世の中が変わるのだから

 先祖の土地を守り営々と農業を続けていた馬場家。代々からの暮らしが一変するその時は馬場益弥さんが当主の時に訪れた。馬場さんは大正八年生まれ、自身の農業生活が足掛け五十年になろうというときだった。 「住宅地に転用するため土 … 続きを読む

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【6】ささやかな平凡な暮らしを(高村さん)
生まれ育ったところで住める幸せ(横倉さん)

 (前回に続く)  地域に住む地主だけでなく他県に住む地主との交渉も必要とされ、それは横倉社主と高村さんにとっては、まさに東奔西走の日々だったという。  多摩に住む人々の生き残る道を多摩ニュータウン開発という大事業にかけ … 続きを読む

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【5】生き残るための道がニュータウン開発だった
-開発はゴルフ場がきっかけ-
-やむなく土地を手放す農民-

昭和三十年代後半の東京は、流入人口の増加、核家族化に伴う区部の住宅事情の悪化など、住宅需要が高まっていた。  三多摩出身で当時衆議院議員であった木崎茂男は、このような状況への対応策として二十三区の外周にベッドタウンをつく … 続きを読む

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【4】住宅都市への先駆を語る
高村 旭さん
養蚕に代わる特産物がなく

 多摩ニュータウン開発は、東京都、都市基盤整備公団、都住宅供給公社などが施工者となって進められてきた。だがその陰には、住宅地の供給のために先祖伝来の山や田畑を手放した農民や、土地買収のために土地所有者を説得して歩いた人た … 続きを読む

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【3】遺跡発掘がもたらしたものⅢ
発掘現場はご婦人の働く場となる

 戦後、絹製品の輸出が思わしくなくなったことから養蚕に変わる農業の近代化を模索していた地元の人々は、それまで営営として大切に守ってきた先祖伝来の土地を、時代の波とは言え「全国から集まってくる人たちの住宅建設のため」に、切 … 続きを読む

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【2】遺跡発掘調査がもたらしたものⅡ

 その後、遺跡は相次いで発見され昭和47年に再度実施した分布調査では512ヶ所に増加し、最終的には964ヶ所にまで及んだ。  途中、昭和40年代後半には自然保護、公害、住宅の需要動向の変化などにより多摩ニュータウン事業は … 続きを読む

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【1】—-特集を始めるに当たって—-

 多摩ニュータウンの開発は高度経済成長期における庶民の住宅難の解消のため行政が必要に迫られて決断した計画であって、官主導の街づくりであった。  何世代にもわたって守り、受け継がれてきた多摩丘陵の自然を壊し、峰を削り、谷を … 続きを読む

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