カテゴリー別アーカイブ: 唐木田物語より

横倉鋭之助著「唐木田物語」より ⑨ 最終回

 唐木田駅前から唐木田通りを西に行き、一つ目の信号を過ぎてから、左に入ると「唐木田稲荷神社」がある。以前はもう少し大妻学園側の山裾にあったのだが、区画整理で現在地に移転した。その境内に一つの記念碑があり、こんな文章が刻ま … 続きを読む

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横倉鋭之助著「唐木田物語」より (8)

 多摩土地区画整理事業は、多摩ニュータウン建設の一環として、道路・河川・公園などの公共施設を整備し、あわせて宅地の利用増進を目的とした事業で、新住事業区域(全面買収によるニュータウン建設区域)と調和の取れた一体的な街造り … 続きを読む

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横倉鋭之助著 唐木田物語より (8)

 昭和43年11月、唐木田棚原地区への“多摩ニュータウンゴミ焼却場建設計画”が東京都から発表された。  唐木田の殆どの人は新聞記事でそれを知り、まさに「寝耳に水の話」に、急遽隣の中組地区と連携して「落合ごみ焼却場反対連合 … 続きを読む

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唐木田物語より (6) 横倉鋭之助著

◆ニュータウン開発(1)  昭和39年5月、東京都は多摩丘陵の無計画・無秩序な開発を防止し、住宅難の解消と緑地の保全を目指して“多摩ニュータウン”を建設する方針を決定した。翌40年12月には、新住宅市街地開発事業として建 … 続きを読む

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唐木田物語より⑤

◆明治大正昭和(2) 【交通】  平成2年3月、小田急線が「唐木田」まで開通したが、それ以前の昭和48年に京王線の「多摩センター」ができるまでは、京王バスで「聖蹟桜ヶ丘」に出ていた。このバス路線は昭和31年に地元の強い要 … 続きを読む

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唐木田物語より④ 横倉鋭之助著

◆明治大正昭和(1)  慶応4年(1868年)の鳥羽伏見に始まり翌年の函館に終る戊辰戦争により江戸幕府は倒れ、江戸も東京へと変わっていく。  明治4年の廃藩置県で多摩は神奈川県に属するようになる。次いで明治22年の市町村 … 続きを読む

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唐木田物語(横倉鋭之助著)より ③

◆江戸時代  天正18年(1590年)関東に入国した徳川家康はすぐに家臣の知行割りを始めた。その際江戸から近い武蔵、相模には幕府直轄地や中小の知行取りの旗本を配し、一夜泊りで江戸に駆けつけられるようにした。  現在の唐木 … 続きを読む

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横倉鋭之助著「唐木田物語」より 第2回―古代には国府街道の沿道だった―

 大和朝廷の勢力が東国にまで及ぶようになると、武蔵国の国府が今の府中市に置かれ、天平13年(741年)頃に武蔵国分寺が建立された。当時国府街道という官道が各地の国府を結んでいたが、相模の国府と武蔵の国府を結ぶ道が多摩丘陵 … 続きを読む

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横倉鋭之助著「唐木田物語」より 第1回

 南関東の平原に緑の帯を投げ捨てたように細長く東西に連なる山並みを多摩丘陵という。丘陵は平地と40~50メートルの高低差をなし、尾根は右に左にと走っている。その尾根と尾根の間に、谷戸と呼ばれる谷が、木の枝のように入り込み … 続きを読む

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