昭和35年、関戸で金物屋を開いた。「当時、駅周辺には寿司屋と魚屋があるのみ。多摩村には金物屋がないからと友人に勧められて、農家からの転身で鍋のナの字も分からない状態で始めた」と笑う長澤さん。現在は開店の翌年に生まれた2代目の克己さんが継いでいる。開店当初は鍋・かま・バケツといった生活用品が店頭に並んでいたが、高度経済成長期、建築ラッシュで工具や建築用品が主流商品に変わっていく。バブルがはじけ、長引く不況下、大型量販店やホームセンター、百円ショップ、ネット通販がしのぎを削り安売りの価格競争、デフレスパイラルに歯止めがかからない。「49年やっていて、こんなひどい状況は初めて」と長澤さん。
職人さんたちも受ける単価が安いとコスト削減を余儀なくされ、金具ひとつでも廉価な方を選ばざるを得なくなってきた。金物店が取り扱う商品の数は膨大、釘、ビス、フック、ナット、錠、鋲、蝶番、その他、数にして4万点以上。釘ひとつにしても鉄、真鍮、銅と素材もいろいろ、工法によってはカラーの釘も使われる。しかも、形状、サイズも小刻みに違いが。個人専門商店がその全てを網羅しストック、さらに価格競争に対抗するのは至難の業だ。個人商店が安価で粗悪な物を販売するにはリスクを伴う。量販店で購入した物が粗悪品であった場合、買った方もどこかで納得しているが、個人商店だと「お宅で買ったのに」と、直クレームになり、店の信用にかかわってくる。“いい物は高い”ということを納得して買ってもらうため会話が重要。「商品知識・使用目的に的確に答えられ、注文を間違えないこと、早い対応ができるよう日々、勉強させてもらっています」と克己さん。教員を目指していたという克己さんの話し方はソフトだが、金物に関しては確たる自信と固い信念が伝わって来る。
熾烈な価格競争の中で光明は流通経路の変化や建築基準・耐震性など検査をクリアしなければやり直しになるといった状況になって来たこと。いい品質の商品は高い、しかし結果、経済的。消費者も気づき始めている。
箒1本でも丁寧に応対してくれる『富士金物店』、一度のぞいてほしいお店だ。 100301号掲載
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ここで… 堅い商で49年
ここで… 会話で心を繋ぐ文具屋さん
次々と来店するお客さんの様々な要望に丁寧に対応し詳しく商品説明する植主昌子さん。聖蹟桜ヶ丘駅東口1分、桜ヶ丘プラザビル1階にある文具店『文具のタイコー(植主光雄取締役)』、大型ショッピングセンターのそばにありながら、40年ここで文具店を営んできた。植主さんが嫁いで来た昭和38年、駅周辺には田んぼが広がっていた。ご主人は会社員だったが、婚家で美容院、万屋を商い、桜ヶ丘駅周辺の道路拡張工事に伴い、昭和45年、現在の地で文具店を始める。
各メーカーのブランド力や高い技術・商品の優れた面を紹介し、文具・事務用品、印章、印刷各種、法令等の店頭販売に加え、WebシステムによりОAサプライ、オフィス生活用品を翌日配達する調達サービス「Smart Оffice」も展開している。また大型店では対応しきれないボールペンの替え芯1本、筆耕や宛名書き代筆もしてくれる重宝な街の文具屋さんとして親しまれている。「文具と言ってもその数3万点以上、PC、コピー機ファクスインクも次々と変わり、仕入れ、商品知識も大変、商品説明も一朝一夕では出来ない奥深さがある。衝動買いの大型店に対し、専門店は目的買いが主、使用目的がハッキリしているからこそ納得してもらえる説明を心がける。お客さんに教えられて品揃えをしたり、カタログを見て常に勉強。ブンボウ具ならぬビンボウ具屋ね」と植主さんは笑うが、文具とお客さんとのコミュニケーションをこよなく愛していることが伝わってくる。「小学4年生の時、その頃学校にあった“購買部”の部員になったの。上級生に助けられてのお店屋さんごっこだったけど、お客さんと直接対話する商売の楽しさを知ったの」。
来店する子どもたちの不作法を親以上に根気良く諭し、お客の健康状態や家庭環境まで気遣い、顔を見て一人ひとりに話しかける。無言で商品をレジに差し出すお客さんも植主さんの言葉に口許がほころぶ。レジ横の募金箱に釣銭を寄付した人には必ず「ありがとう!箱はなんにも言えないから、おばちゃんが代わりにありがとうネ」。
文房具はお金儲けにはならはない。お客さんに教えてもらい、ニーズに的確に応えていくことが“つながり”になり専門店が存続していく秘訣だと植主さん。 100201号掲載


