唐木田物語より④ 横倉鋭之助著

上落合バス停付近からの棚原山、山頂にお伊勢ノ森があった。今は山そのものがなくなり、小田急の倉庫になっている。煙突は清掃工場(昭和51年頃)

◆明治大正昭和(1)
 慶応4年(1868年)の鳥羽伏見に始まり翌年の函館に終る戊辰戦争により江戸幕府は倒れ、江戸も東京へと変わっていく。
 明治4年の廃藩置県で多摩は神奈川県に属するようになる。次いで明治22年の市町村制の施行で落合等旧八ケ村と百草・落川の飛び地が合併して多摩村が誕生した。明治26年に東京府は水源確保のため三多摩を東京府に編入し、昭和18年に東京都となる。唐木田は落合の一部を構成し「東京都南多摩郡多摩村落合字唐木田」であった。
 当地の小字名として「土橋(土橋)・李久保(すももくぼ)・榎戸(えのきど)・樋口(とよぐち)・棚原(たなばら)」があった。今は一部が公園の名前として残っている。また、「所名」と云った古い歴史や謂れのある伝承地名があったが、次第に忘れ去られていくのは淋しい。以下に思い出す「所名」を記すので、その伝承や謂れを想像して見るのも面白いかもしれない。ただ、今その場所に行っても、昔の面影が残っているところは殆どない。「影取池・大びゃく谷戸・あら田・池田・三百田・狼谷・堂ノ山・砦山・厳耕地(源剛寺)・山王塚・お伊勢ノ森」。
 明治3年に県役所に提出された旧落合村の住民録に拠ると、当時はまだ江戸時代の5人組の組織が生きており、唐木田は14戸で、中組の1戸を入れ3組となっている。これには「古澤・高村・横倉」の3姓で75名の名前が記されている。その後、明治年間には分家7戸、転出1戸があり、大正元年の総戸数は20戸となり、昭和元年も20戸人口136名となっている。
 往時には「家名(いえな)」があり、その家の歴史や成り立ち、職業などから付けられ、唐木田には「トリヤ・タネヤ・ニヤ・カサ・ドウキン・ウエ・ミセ・タバコヤ・アラタ・ニシ・シンヤ・ヨリヤ・インキョ」といった「家名」があった。 100701号掲載

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