横倉鋭之助著「唐木田物語」より 第1回

東京都埋蔵文化財センターに復元されている縄文時代の住居

 南関東の平原に緑の帯を投げ捨てたように細長く東西に連なる山並みを多摩丘陵という。丘陵は平地と40~50メートルの高低差をなし、尾根は右に左にと走っている。その尾根と尾根の間に、谷戸と呼ばれる谷が、木の枝のように入り込み複雑な地形を造っている。 谷は狭く、手を広げれば両側の山に届きそうで、そこに狭い田圃が拓かれ小さな部落が点在している。唐木田の里はそんな部落の一つであり、多摩丘陵のほぼ中央に位置している。
 浅川を併せた多摩川が多摩丘陵に沿うようにその流れの向きをやや南に変える辺りに、丘の谷間から流れ込む一筋の流れがある。土地の人々が大栗川と呼んでいるその川を遡ると直ぐに、乞田川が分かれる。乞田川はそのまま西の方向へと進み、八王子と町田の境にある小高い丘へと辿り着く。その行き詰まりの部落に、南傾斜の山裾を削って20戸ばかりの家が点在している、そこが唐木田。乞田川は多摩の中央部に開けた田畑を潤す水利の源であり、そこに住む人達の命の根源であった。川沿いには四季折々の草木が里を彩っていた。
 しかし昭和40年から始まった多摩ニュータウン開発により、唐木田の谷は埋められ、乞田川も排水のための味気ないコンクリートの河川になってしまった。
◆唐木田のあけぼの
 この唐木田の地に人が住み始めたのは、何時ごろのことであるのかは明らかではないが、かなり古い時代のようで、私たちの先祖と言われている縄文の人達も、この唐木田に住んでいたようである。多摩ニュータウン開発に伴う遺跡調査で、棚原地区から約九千年前の縄文時代早期の土器が出土している。また土橋地区からは約4千年前の縄文早期~中期の遺跡が見つかっている。
 次の時代となる弥生時代(約二千年前)の遺跡はあまり発掘されなかったが、古墳時代(約千五百年前)の土器はやはり棚原地区で出土している。この頃には唐木田の谷戸に人が住み、農耕生活が始まっていたのだろう。 100301号掲載

遺跡調査: ニュータウンの遺跡調査で発掘された土器等は、多摩センターにある「東京都埋蔵文化財センター」に展示保管されている。
棚原: 現在の小田急電鉄(株)唐木田車庫の辺り。小高い丘となっておりそこに畑が広がっていた。
土橋: 唐木田の西方、今は土橋公園がある。

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