- 2010-02-01 (月) 18:25
- コラム
昭和30年代の終わり頃から40年代の中頃まで、大栗川で毎週のように父と釣りをしていた。ちょうど筆者が小学生から中学生の頃のこと。喘息持ちで身体が弱かった筆者は、八王子旧市街地の自宅から自転車で秘密の釣り場まで通った。そのおかげもあって体力もつき、小学4年生くらいから欠席なしで過ごせた。
当時の野猿街道は殆ど車も通らないのどかな街道で、峠の上までえっちらおっちら何とかペダルを踏み、頂上の湧き水というこの上もない自然の恵みでのどを潤し、汗をぬぐい太田川が大栗川に合流する付近の釣り場まで自然の風を身体一杯に受けて一気に峠を下ったものである。あの時の爽快感はいまだに鮮明に記憶している。
大栗川は自然のままに蛇行する川で、周囲にあるのはせいぜい田んぼや畑、自然に満ち溢れた地域だった。ある時、川岸の茂みがかさこそ音をたてているのでじっと目をこらしていると、ラッコのような形体の生き物が泳いでいた(素人ながら今でもニホンカワウソだったと信じている)。そのような自然の中で週末は釣り三昧だった。ここには案外多種の魚が生息しており、この釣果のおかげで当時の我が家の庭には池が作られ、30センチ位の金兜もゆうゆうと泳いでいた。
あれから約40年。縁あって大妻女子大学へ奉職し、大学へ通う道がやはり野猿街道でその移り変わりを否応なく実感している。湧き水は普段は涸れ道幅も4倍以上になり、マンションや家が建ち並んでいる現実。大栗川はまっすぐに改修されている。新河川法以降、多摩川水系工事実施基本計画で治水や利水をキーワードに大栗川も国の直轄管理区間に組み込まれていき、多摩ニュータウン開発と共に河川の改修も実施された。その後の河川法改正以降の整備基本方針で河川環境の要素も加わり、整備計画が実施され柚木緑道等が整備され現在に至っているのはご存じの通りである。
大学では環境保護論、環境経済、環境法等を担当し、地域の変化も織り交ぜながら自然環境と人間社会のあり方を将来を担う学生と共に考え議論している。今、大学には多摩地域を始め様々な地域からの学生達が学んでいる。彼女達が数十年後に再びこの地を訪れた際、感じたことを言葉や声にして、次の世代に伝えてくれればと願っている。 100201号掲載
- Newer: 働いてます デリカテッセン「ポピンズ」にて 京王プラザホテル多摩4F
- Older: 高尾山の年末年始の来山者
コメント:0
トラックバック:0
- このエントリーのトラックバックURL
- http://www.tamatimes.co.jp/article/7247/trackback
- Listed below are links to weblogs that reference
- 大学と地域を結ぶ 「自然からのメッセージ」大妻女子大学社会情報学部教授 黒沼吉弘 from 多摩ニュータウンタイムズ