唱歌のことば今ここに 「赤い靴」

091201shoka 大正10年に「青い眼の人形」を発表した野口雨情と本居長世の作詞・作曲家コンビは、翌11年(1922年)名作「赤い靴」を完成させた。
 雨情にはこの作詞を駆り立てられる動機があった。
 かつて雨情が北海道の新聞社にいた時、そこで同僚の身の上話を聞いた。同僚は北海道で開拓に従事したが失敗し、その後新聞社で勤務していた。3歳の娘(岩崎きみちゃん)のいる妻とは再婚だが、開拓者の生活は苦しく、結婚にあたって2人は娘をアメリカ人の宣教師夫妻に養女として託したという。
 “異人さんに連れられて行く赤い靴の女の子”というのは実在の子供の話だった。この話を聞いた直後、雨情自身も生後7日の娘を失うという悲劇に見舞われる。
 娘を手放した夫妻は子供がアメリカに行ったと信じていた。しかし現実には宣教師がアメリカに帰るとき、娘は結核を患い同行できなかった。宣教師とも別れ東京・麻布にあった教会の孤児院で闘病後、9歳で寂しく生涯を閉じた。母親はわが子がアメリカで幸せに暮らしていると信じたまま生涯を終えた。
 「赤い靴」は遠くに離れていった女の子を思う歌。横浜の山下公園には海の方向を見ている女の子のブロンズ像が建っている。
 この歌からは昭和52年11月15日、北朝鮮に拉致された当時13歳の横田めぐみさんを連想する人もいるだろう。しかし、めぐみさんは今も異国できっと、父母と故郷を思いながら暮らしているに違いない。 091201号掲載

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