- 2009-11-01 (日) 12:00
- 唱歌のことば今ここに
作詞・野口雨情、作曲・本居長世による「青い眼の人形」は大正10年(1921年)に発表された。
アメリカで、画家オニールが1903年キューピッドをモチーフにしたイラストを雑誌「COSMOPOLITAN」に発表。その原画をもとに9年後の1912年(大正3年)にはセルロイドのキューピー人形が誕生した。日本に渡来したのは大正4年頃という。軽くて愛嬌のあるキューピー人形は日本で大きな人気を博した。野口雨情の三女もキューピー人形を可愛がり、それがこの曲の作詞を促したという説もある。
キューピー人気は商業的にも多方面に広がった。
『キユーピー㈱』の創業者中島董一郎氏が舶来のキューピーに注目し、大正14年3月に日本で初めてキューピーをキャラクターにした「キユーピーマヨネーズ」を登場させたことでもわかる。日本でマヨネーズが一般化する原点はキューピーの登場だったのだ。
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一方、親善大使の役を果たした “青い目の人形”もいた。
昭和2年、険悪化しつつある日米関係を解きほぐそうと、親日家の牧師ギューリック博士の考えで実業家渋沢栄一氏を通し、平和の親善大使としてアメリカの小学生たちから1万3000体もの人形が贈られ日本各地の小学校にやって来た。人形はセルロイドではなく陶器製で、皆手作りの洋服を着て本物そっくりのパスポートを持っていた。アメリカの子どもたちの友情と好意に応えようと、日本からも多くの日本人形(市松人形)が海を渡ったという。
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八王子市立第八小学校(石川町)には昭和2年にやってきた人形が今も健在だ。戦時中には廃棄されたり、空襲で失われたりし、難を逃れて現存するのは全国で300体に満たない。
同校では当時在校していた卒業生の記憶をヒントに、昭和53年、古い倉庫にあった木箱から身長45センチ、髪はブロンドで黄色いドレスを着た青い目の人形(写真)が発見された。木箱の中にはアメリカの小学生の手紙なども入っており、手紙にはニュージャージー州のフレンズ小学校からの贈り物とある。第八小の児童たちは人形を「メアリー」と名付けた。
「メアリー」はいま校長室のケースに飾られている。横に寝かせるとゆっくり目を閉じる。毎年4年生は総合学習の時間に自校の歴史の中でメアリーの話を学び、6年生は写生して卒業式に展示するという。
青い目をした人形は戦争という人間の暗い歴史と同時に、人間の優しい心を伝えているかのようだ。091101号掲載
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