終戦の日はこの地方のお盆でもある。久しぶりに盆棚の前で孫たちに先祖を語り、昔を思い、現代に生きる手懸りを探ろうとした。
自分たちの先祖がどこからやってきて、何時からここに住みついたのか、などの話から始めて、人々は西の山を越えてやってきたとも、東から川伝いに登ってきたとも、そして「むら」の歴史は四百年とも六百年ともいわれる。その確かさは分からないが人々がそこに住みつき暮らしの営みが始まりそれが続いてきて、いまここに「むら」があり街がある。人々がそこに生きていると言うことは確かなことである。くらしの営みは、人々が生き続けるための努力であった。
この地にたどり着いた人々は生き続けるための唯一の場所となったのです。その場所で人々は生き続けるために、山野を耕した、種を播いた、草を取り手入れをして穫り入れをした、木を切り柱を建てた、屋根を葺いた、水路も作った、子供を育て、墓も作った。自分が暮らすための営みは全て自分でやらなければならなかった。この営みを続けていくためには「むら」を守らなければならなかった。「むら」を守るためには人々が力を寄せ集めて対応することが、自分たちが生き続けるための唯一の道でもあった。
そこには命を懸けてでも守らなければならない習わし、しきたり、おきてなどがつくられ受け継がれてきた。これらの「おきて」などはニュータウンの開発によって全て無用の物となり消えていってしまった。
しかし、新しい時代にも「習わし」が必要なのかどうか、問われなければならないだろう。
とにかく大災害などが発生した時、助け合いや地域の復興に役割を果たすのは地域コミュニティがいかに充実しているかにかかっている。地域の昔の「習わしやおきて」などはどのようなものであったかを考えてみると、1.木はやたらに切ってはならない。2.決められた場所以外の草を刈ってはならない。3.谷川の水は汚してはならない。4.凶作に備え食料を蓄えておかなければならない。5.食べものは粗末にしてはならない、一粒のお米でも天地の恵と感謝していただく。6.特定の森や沼などには一人で近づかない、などであろう。 090901号掲載
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