中秋の名月と言われる十五夜のお月見の頃は、最も気候の良い季節である。
縁側に小さな机を出して、すすきの穂や女郎花、ワレモコウの花などを一升徳利に飾り、お団子や酒饅頭、柿や栗、梨などお月さまに因んで丸い果物や野菜をお供えして、満月を祝い祭る風習があった。
この十五夜の晩だけは、子どもたちが他の家の十五夜のお供え物をこっそりと持って行ってもよいことになっていた。
月に照らし出された明るい縁側に、庭木の陰からこっそり忍び寄りお供え物を持って逃げる姿が…すると透かさず家の人から「饅頭はいいから入れ物は置いといてね」という声が掛かる。子どもは素直に入れ物を間口に置いていく。
当時の子どもは普段、着物を着ていたので、せいぜい「ふところ」か「たもと」に入るぐらいしか持っていかず、また欲をかいても持ち切れなかった。
子どもたちは日頃から農作業や家事の手伝いをしてきたので、一年に一度の地域社会からのほうびだったのだろう。
さて十五夜のお月見に欠かすことの出来ないのが「ススキ」、何となく月とススキは風情がある。
いまも多摩ニュータウンの法面や空き地や未利用地のあちらこちらでススキの穂が風に揺らいでいる。かつてこの地方ではススキが最も大事なものの一つとされていた。全ての家々は草葺の屋根で、その家々の雨露、寒さ暑さを凌いだのが茅葺きの屋根、つまり全ての家の屋根の材料として(茅)ススキが使われていたのである。
その茅は十一月から暮れにかけて、雪が降るまでの間に一本残らず刈り取られていった。
この丘陵地帯では屋根を葺く材料である茅を生産するための茅場が雑木林に混じって点在していた。そしてその多くは山林所有者が管理していた。
ところが初夏の農繁期を迎えた5~6月頃になると牛馬の活躍する場面ともなってくる。牛馬が最も好んで食べるのが茅の若草なので、朝早く馬の餌にするために茅場の茅が刈られてしまう。一度夏に刈ってしまうと、その秋の茅は価値が無くなってしまう。
そうしたことがあって、地域の誰でもが利用出来る「共有地」を設けてそこを「草苅場」と言っていた。
選挙での「草苅場」と言うのはここから生まれたもので、「誰でも票を集められる場」という意味であると思う。
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