諏訪、永山地区に入居第一陣を迎えて1年が経った昭和47年3月頃、京王相模原線や小田急多摩線の鉄道工事は始まっていたものの住民の足の問題が解決したわけではなかった。
当時ニュータウンは、京王線聖蹟桜ヶ丘駅と小田急線鶴川駅との間を京王バス、神奈川中央バスの2社のバスで繋がれていた。朝夕のラッシュ時には途中無停車で急行してようやく間に合うというのが現状である。雪の日や雨の日に積み残された乗客の行列は気の毒であった。諏訪、永山地区には当時5600戸が入居しており、この3月には愛宕地区の入居も開始される。
ところが勤めから帰り桜ヶ丘に着くのが10時半過ぎると終バスはない。タクシーもあるがバス料金の10倍以上を払うことになる。しかもタクシーに乗るためには長時間並んで待たなければならない。
桜ヶ丘駅のホームに電車が着くたびにホームからの階段を先を争い駆け降りてくる、その足音と一人でも追い越して先に出ようとする気迫ある行動は異常ともいえる。そしてタクシーを待つ列に加わるのである。新しいマイホームに住んで日が浅い、妻や小さい子供が待つ家に一刻も早く帰りたいというのは人情である。折角桜ヶ丘駅に着いても、ここでまた30分、1時間待たなければならない、こんな日々が続くと、何とかならないものかと考えるようになる。
だが、この新しい街はまだこれに応えられるようにはなっていない。夜になると、文字通り陸の孤島化するのが世界に誇る「多摩ニュータウン」の現状である。
京王新宿発の特急は最終が午後11時で、聖蹟桜ヶ丘駅着は同11時25分だが、同駅の最終バスには間に合わない。せっかく特急に乗ってもニュータウン行きの足は、タクシー以外にはない。夜10時半以後に聖蹟桜ヶ丘駅に下車して、折返し帰ってくる駅前のタクシーを待つ人たちで毎晩長蛇の列が続く。
多摩ニュータウンの入居募集案内などのうたい文句は「新宿から25分」、「職住近接」などであった。
そこでこの交通問題を何とかしようと立ち上がったのが、「多摩交通問題実力突破委員会」と称する自主運行だった。バスのなくなった午後10時半以後終電まで、京王桜ヶ丘駅とニュータウン間の約6㎞を9人乗りのワゴン車で5回~8回のピストン輸送をする。少しでも帰宅の遅れを緩和しようと住民側が動き始めたのだった。車の横には白字で大きく「自主運行車」、小さく「多摩交通問題実力突破委員会」と書かれている。
陸運局は黙認していたのだろう。
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