【26】“しきたり”の消えた社会〈1〉

近所の人がお相伴を務める婚礼

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多摩丘陵に根づいていた養蚕という一大産業。生糸や織物の生産地であったり集積地であった八王子とその周辺地域は、養蚕がもたらした賑わいで活気に満ちていた。
 ところが戦争が長期化したため生糸の輸出が伸び悩み、戦後になると徐々に姿を消し、ついに生糸の生産は壊滅してしまった。
 現金収入の道を絶たれてしまった多摩の農民は、生活を支えていくだけでも困難な状況になっていた。そしてやがて地域社会の構造までもが変化せざるを得ない状況へと進んでいった。
 新しい都市構造を目指すことによって、そこに産業が生み出されるものと期待した。
 しかしついに多摩ニュータウンという大住宅都市が実現したものの、地域全体を潤すような産業は生まれてはこなかった。
 古くからこの地域に生きてきた人たちは隣近所で助け合って生きてきた。一人の個人や一軒の農家だけでは生きてはいけない社会が定着していたからだ。
 地域のため、村のために働き、地域共同体社会を作り上げてきた。「しきたり」を守り、道路普請、水路さらい、堰普請、近所の屋根替え、建前、結婚式、葬式などは全て「しきたり」に基づいてみんなで行ってきた。これに参加出来なければ村八分となって、隣近所から相手にされなくなってしまう。それは自分の生活を守るための唯一の道でもあったのだ。
 これらに対して幾らか報酬をくれなどという主張は通用しなかったし、そういう論理もそこには生まれてこなかった。
 いま、こうした地域社会を支えてきた”ものの見方、考え方、掟、しきたり、習わし”といったものが全て崩れさってしまった。
 このように地域産業の「死」は一つの地域社会の「死」にも繋がり、地域コミュニティまでも崩壊させることになってしまった。
 地域コミュニティがないところには、地域への愛着もなく、地域のためにという発想も生まれてこないし、地域の発展も期待できない。
 地域共同体意識の社会に替わって、どんな社会が生まれてきたのだろうか。互いに助け合いながら生きるという当たり前のことが難しい社会になってきた。この地域に根づいて生きてきた者の思いには複雑なものがある。

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