「北条おまえ多摩の開発を考えろ」と三十八年ころ東京都首都整備局の山田局長から指名された。当時都の職員であった北条晃敬さんは一人では何も出来ない、相談相手のような人が欲しいと話したところ、いいから一人で始めろと言われて手を付けたのが多摩ニュータウン構想であったのだ。
その北条さんが現地を歩いて感じた住民の気質を次のように話している。
稲城の地主さんたちは、商人的か事業家肌の方が多いような気がすると話す。
大地主の富永重芳さんは家訓や伝統を守り、自分に与えられた仕事や立場を知り、守り続けようとしている、そういう方が多いような感じを受けるとも話す。
稲城は特産の梨を作りだし今でもその生産は続けられている。
多摩の住民は純朴な農民というイメージが強い、自然の中で自然の成り行きに委ねようとする人たちが多いような気がする。立地条件や環境にもよるが、何とか自給自足の生活が出来ていたのかも知れない。
由木の地域では養蚕とめかご、筵、縄などの藁工品、酪農などと新しい産業が起きてきた。そして過去には鑓水商人とまで言われる大小数人の大商人を排出してきた、そのような風土そのものを持っていたと言っていいだろう。
特に政治には関心が高く、早くから由木独自で井草市郎都議などを都議会に送り出し三多摩壯士的な色合いを多分に残していた。その点からも由木の住民は社会性に富んでいて、親分肌のリーダーが、多く育つような土地柄であったような気がする。
このように稲城、多摩、由木の三地区の気質が用地の買収にあたっても違いを伺い知ることが出来る。
稲城の人たちの商人的感覚は用地買収に当たっては先ず土地は必ず縄伸びが有るので公募売買ではなく実測売買でなければ、買収には応じられないということと、多くの方は代替え地を他に求めている買収の終わっていた多摩でも稲城にならって実測売買にしろと、その格差是正の運動となって、集落ごとに生活再建補助として全体の契約面積に応じて追加支払いがなされるという事態もうまれてきた。
以上の様に三市三様の見方も出来る。北条さんが地元に来て地主さんたちと話が出来たのは、私たちが最初に買収交渉に着手してから五~六年が経過していたことから、その間に多摩の地主さんたちは開発の実現性を感じはじめていて用地を買収されることに、諦めと覚悟を決めていたと言うことが言えるのだろう。
関連記事
- 【19】新住事業に都が動き出す②
- 【14】その時多摩は動いた(6)
- 市税の収納率最高に(稲城市)
- あつまれ!のりもの
- 【4】住宅都市への先駆を語る
高村 旭さん
養蚕に代わる特産物がなく - 新規採用職員、研修で土嚢づくり(稲城市)
- 【10】その時多摩は動いた(2)
- もうすぐ収穫 石坂さん宅の「ぶどう」
- 谷津入旅行会 60周年 (八王子市)
- 乞田川に鯉や鮒などを放流




