【14】その時多摩は動いた(6)

このころの私は、親戚や知人、地域の人たちから異端児扱いされるという苦しい状況におかれていた。
 それもそのはず用地の買収交渉は、やがて三年にもなろうとしているというのに開発の当事者さえ決まっていない。  地主さんたちへの用地代の支払いのメドも立っていない。経費はどんどん嵩んでゆく。この間収入は全くのゼロ。周囲の人たちや親戚の者には、この仕事を早くやめろと言いだされていた。
 男として、一度やり始めた以上途中で放り出すわけにはいかず精神的にも最も苦しい時期であった。
 そんなある日、貝取の下野峰雄さんを経過報告で訪ねた。
 事業主体となる住宅公団との取組みも決まったし、いよいよこれから用地買収の具体的な方向で動きだすことを報告した。
 ところが下野さんは私に「今まで、大変永い間骨を折ってきたかも知れないが、地主さんたちはもう熱が覚めてきているしこれ以上進めても難しくなるだけで大変だから、この辺でやめたほうがいいのじゃないか」と話を切り出したのだった。
 その時私は即座に「この仕事は絶対にやめません。私はこの仕事で儲けようなどとは思ってはおりませんし、この開発が出来ればいんです。損得など毛頭考えてはおりません。何が何でもやり遂げるんです」と答えたらしい。
 私は自分の言ったことをすっかり忘れてしまっていたが、後になって下野さんから打ち明け話として聞かされたのだ。
 あの時下野さんは、私のためを思って「もうやめたほうがいいよ」と忠告したつもりだったという。
 その下野さんが地主さんたちに私の固い決意を伝えてくれたのか、暗礁に乗り上げていたと思われていた買収交渉はその後急速に進み、奇跡の買収と言われるほど地主さんたちからの協力も得られ、再び軌道に乗りはじめたのだった。
 このように土地の交渉が進むにつれ、地主として同じ立場でもある横倉などに儲けられるのではないかとの疑問もでたのだろうが、そんな時にも下野さんのように私の心情を皆に伝え、陰で支えてくれる人たちによって、私のような異端児にも信頼と同志的な親密感を抱いて多くの方々が協力をして下さったものと思っている。

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