小金井市の開発会社小泉社長の持ちかけた東京都との話し合いはその後具体的な進展は見せなかった。一方木崎物産㈱の木崎社長から進められていた住宅公団による大規模住宅団地の買収計画の意向を確かめる必要があった。
木崎社長と南木専務は「住宅公団の買収の意向が示された。木崎物産を通じて公団に持ち込みたいので是非やらせて欲しい」と再三にわたって働きかけてきた。高村さんと私は千代田区にある本社を訪れ、真意を確かめると同時に木崎社長に住宅公団への案内を申し入れた。
木崎物産の本社は半蔵門の英国大使館隣にあって社員二十名ほどの会社で、宅地開発や造成分譲などに取り組んでいた。その頃木崎物産は日野市平山城址公園駅近くの山林約十万坪を買収し、宅地造成を手掛けていた。現在の平山団地である。後になって分かったことであるが、当時の聖蹟桜ヶ丘駅北側一帯の水田(現在は京王ショッピングセンター、京王本社、ザスクエアなどがある)を買収するからと言って、京王電鉄から当時の金額で一億円を先取りしていたという。しかし買収は出来なかったためその見返りとして、先に買収していた平山城址公園駅近くの造成地を京王電鉄に引き渡す結果となり、後に京王電鉄が宅地造成分譲を行ったのである。
なぜここで木崎物産を紹介しなければならないのか。それは多摩ニュータウンに日本住宅公団が本格的に乗り込んで、新住宅市街地開発法に基づく用地買収を始めたのに先行して、木崎物産は用地確保に動いてくれたからである。それらの橋渡し役の中で生まれた数々の、まるでドラマのような出来事を私たちは忘れることができない。
昭和三十八年一月四日新年の初出勤の日、高村さんと私は木崎社長の案内で九段にある日本住宅公団を訪れた。首都圏開発本部の長谷川課長に会って永山諏訪地区を買収する意向のあることが確認できた。遠方より訪れた私たちに、長谷川課長は地下の社員食堂に案内してくれ、食事をしながら懇談することができた。
住宅公団の玄関を出るとすぐ目の前が靖国神社の大鳥居である。木崎社長と別れた私たちは久しぶりに参拝していくことにした。大鳥居をくぐって境内に進んだ。拝殿手前には扉に大きな金色の菊のご紋章がついた門がある。そこに写真屋がいるのを見かけた。「お参りした後記念写真でも撮ろうじゃないか」と高村さんに話しかけた。
ドラマの始まりであった。
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