- 2009-05-01 (金) 10:38
- 【連載】乞田川
「乞田」という名前はどこから来たのだろうか。
乞田大橋の辺りに鎌沼という地名があった。そこには昔、文字通り鎌の形をした周囲1㎞もの沼があった。土砂や枯れた草木が溜まった湿地帯で、ガマなどの植物も茂っていた。村人はここを干拓して耕地にしここを治めていた殿様に「少しの田でもいいから耕させてほしい」と乞うた。そこから「乞田」と呼ばれるようになった、という説が一般的なようである。
そしてもう一つ。南北朝末期の文書(1383年の鶴岡八幡宮文書)に、この辺りが吉富と記されていたことから、ヨシトミ→キットミ→キット→コッタ(乞はキツとも読む)となったという説もあるのだとか。
桜一色だったニュータウンが若草色に変わる頃、乞田貝取ふれあい公園を訪れた。乞田川に鯉のぼりが泳ぎ始める日だ。「何が大変だって、この柱を立てるのが大変なんだよ」。川沿いの桜の幹にゴザを巻き、そこに柱を添えて縄で結ぶ。こっちの柱と川向うの柱にワイヤーをかける。そこに間隔を取って鯉のぼりを付けた紐を渡す。もちろん作業の前には塩・酒・お米でお清めだ。
鯉は大きさも色も実に様々。「農家だった近所の方が持ってきてくれたんだよ」。大きくて流線形の鯉はそんな家にいたのだろう。古いゆえに柔らかいからか、風が吹くたびに美しく泳ぐ。他には買い足したものもあり、多摩センターのお祭りで使わなくなったものも譲り受け、大漁だ。
鯉のぼりは、我が家に男の子が誕生したのを天の神に知らせ、「この子を守ってやってください」と守護を願って目印にしたのが始まりだといわれる。なぜ鯉なのか。鯉は清流でなくても池でも沼でも生きていけるので、生まれた環境にかかわらず逞しく育つように、という意味が込められているようだ。中国にも鯉が竜門の滝を登ると竜になり天をかける、という故事があり、そこから登竜門という言葉が生まれた。今も健やかな成長と立身出世を願って飾られているはずだ。
乞田川は、今も下流に鯉が住む。川の流れは直線で味気ないが、その上は青くて自由だ。五月の空に鯉が泳ぐのは本当に美しい!
結局この日は、乞田商店会と乞田貝取ふれあい館の方々が、一日がかりで鯉たちを青空に解き放ったのだった。お疲れ様でした。
※参考文献…「大栗川・乞田川 流域の水と文化」「多摩市の町名」 090501号掲載
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