多摩丘陵は幾つもの変化にとんだ山あいの里に、どこからやってきたのか、それは西の方なのか、北の方なのかは分からないが、私たちの先祖が住みついた。くらしの営みが始まり、それ以来7百年とも8百年とも言われているが、確かなことは分かっていない。ただ、それが続いてきて、いまそこに「何軒かの集落がつくられ」「むら」があったことと、そこに人が住んで、生きていたことだけは確かである。
くらしの営みは、人々が生き続けるための努力であって、その生き続けるための努力であったからこそ、これからも生き続けることのできる唯一の場をつくり上げてきたのが多摩の里であった。
人々が生き続けるために、畑を耕したり、種を蒔いたり、木を植え、家畜を飼い、草を刈り、実ったものを穫り入れ、煮炊きして家族で食べ、木を切り、柱を建て、屋根を葺いて、雨露をしのぎ、子供を育て、病気やケガも克服して先祖の墓や社もつくった。
自分のくらしは、全て自分たちでやらなければならなかった。この営みを続けるためには、自分たちの「むら」を守らなければならなかった。人々は力を合わせて、道路をなおし、堰を作り、水を引いた。収穫の秋には自然の加護に感謝し、祭りを行ってきた。「むら」の総力で喜び、祝い、祈りをささげてきた。
こうして生き続けてきた人々には、ものの見方や考え方が生まれ、命をかけても守らなければならない何かが生まれ、伝えられてきた。この人々によってつくられてきた「むら」にはその「むら」のならわし、しきたり、おきてが自然に形づくられ、受け継がれてきた。
水源となっている森の木はやたらに切ってはならない。水路の水も一軒だけで全部を引いてはならない。畑や田んぼに隣接した山林で畑の日影になる部分は耕作者によって、草が刈られても、木の枝が切られてもよいとされていたが、馬草を刈る場合は決められた場所以外刈ってはならなかった。
谷川の水を汚してはならない。凶作に備えて粟やきびなどの食糧を蓄えて置かなければならない。命を支える大事な食べ物は一粒たりとも粗末にしてはならない。汚物やゴミは土に返さなければならない。このように自然環境を守るおきてはたくさんあったのだ。これらは全て限られた領域の中で環境を壊さないで、限られた資源を大切に永い間にわたって使い続けようとするためにほかならなかった。
その精神は「みんなが生き続けようとする」ところにあって、みんなが仲良く平和で暮らそうとするところにあったのだ。
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