- 2002-01-01 (火) 9:44
- たまには多摩語り
デパートや料亭の高級おせちが完売した昨年の年の瀬。かつて多摩での新年の祝い膳は家長の指示のもと、その家の歳男(主に若い男)がすべて手作りで準備したものだった。暮れも押し詰まった28日または30日に、自分たちで作った米で餅をつき、29日~30日には鏡餅をそなえ、切り餅を作る。明けて元旦の朝、歳男は早起きして井戸からその年初めての「若水」を汲み、里芋や大根の入った醤油仕立ての雑煮を作る。それを神棚に供える頃、女性や子供たちも起きてきて、揃って雑煮とお屠蘇で新年を祝う。その後、家の表から座敷・廊下・天井まで一家総出で磨き上げ、縁側に火鉢と座布団を用意して近所からの年始の客を待つ。菩提の寺への挨拶を済ませた歳男は、近所の家々へ年始回りに向かう風習があった。それもやがて鎮守のお宮に集まって顔を合わせる程度になったが、10~20軒を訪ねて新年の挨拶を交わしていた。正月2日からは、親戚同士で行き来するが、そこで一子相伝で守ってきた歳男自慢のおせち料理が登場する。口取りはさらし餡と棒寒天や砂糖を混ぜて固めた羊羹、山から掘ってきた山百合の根のねっとりしたきんとん、砂糖醤油とゴマで照りを出したきりいか、キンピラ、ハスの煮物や手打ち蕎麦もお膳に並ぶ。瀬戸物の三段重には酢だこや数の子などの酒の肴が詰めてあった。野菜はもちろん醤油など素材からほとんど手作りだったが、日々の辛い農作業に比べれば料理は男性にとって遊びにも等しいもので、台所の主と化した家長が采配をふるっていた。台所の天井には、お歳暮にもらった新巻鮭が猫などに食べられないよう吊るされており、その本数からその家の暮らし向きを図ることができた。女性たちは普段できない繕い物や洗い張りを、子供たちは工夫を凝らした手製の羽子板や凧で外を駆け回るなど、思い思いに正月を過ごした。その当時の腕に覚えありの向きも、今では奥さんやデパートの「手作り」の味を楽しみ、寝正月を決め込んでいるのかもしれない。微笑ましい情景であるが、うたた今昔の感に堪えない。多摩ニュータウンから農業は姿を消したが、先達は同じ土を踏む私たちに現代にも通じる知恵や礼節など多くの置き土産を残してくれたようだ。 2002.1.1号掲載
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