ニュータウン通りを通ってみると多摩市内の交差点だけでも「~橋」という表示が多くあることに、お気づきだろうか。西から多摩山王橋、上之根橋、乞田新大橋、永山橋、諏訪下橋、熊野橋、行幸橋、新大栗橋。これらはもちろん、道路の南を流れる、乞田川にかかる橋の名前に因んでいる。
昔から使われている地名を取って付けた名前ばかりだ。中でも「行幸橋」に、昔の人の思い入れの強さを感じる。
連光寺にあるその橋は、かつて明治天皇が渡られたことから、「行幸橋」と名付けられた。
当時、国務に多忙な陛下の身を案じた側近が、皇居に程近い所で養生していただきたい、と選んだのが多摩丘陵だった。そもそも聖蹟桜ヶ丘という駅名も、天皇が行幸されたのが由来だ。
時は明治14年から17年。今とは比べようもない小さな橋を、御一行が列をなして進まれる様子は、多摩村の人々にとってお伽絵のようだったのではないだろうか。在位中、道楽のために皇居を離れたことがほとんどなかったと言われる陛下であったが、この地には4度行幸されている。冬には兎狩り、春から秋には鮎釣りをされたとのこと。いかに心安らぐ自然豊かな場所であったか、桜ケ丘公園や大谷戸公園を訪れたことのある方なら頷いてもらえるだろうか。
大正天皇、昭和天皇も東宮の頃に行幸され、昭和五年には、多摩聖蹟記念館が開館した。敷地には桜や梅、ツツジ等が植えられ、四季を通じて来館者を出迎えてくれる。ドーム型の記念館には明治天皇の馬上姿、使われた品々などが展示されている。当初並べられていた物のうち、実は、戦争のどさくさで紛失したものもあるのだとか。
話は戻って、行幸の際休まれた場所(行在所)が、当時の多摩村長である富澤氏の家だ。こちらは平成になって、多摩センターにある多摩中央公園内に解体の上運ばれ、旧富澤家として復元された。18世紀中頃から後半に建てられたという旧富澤家は、市の文化財として、保護・公開されている(使用可。要問合せ)。どんな季節に訪れても、しっとりと重厚な趣があり、駅周辺の喧騒を忘れさせてくれる。昔の面影が今も、形を変え場所を変えて残っている。※参考文献「多摩聖史」 090301号掲載
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