多摩ニュータウンの街並みというと、整備された幹線道路に整然と並ぶマンション群をイメージする人も多いだろう。しかし、昭和30年頃までは、多摩丘陵には日本民家の原型ともいえる茅葺(かやぶき)屋根の家がたくさん残っていた。茅葺の屋根は、夏涼しく冬は暖かい。防音効果があり雨音がしないなど優れた特徴があった。しかし、その維持は決して容易なものではなかった。茅葺屋根は頻繁に葺き直さなければならない。葺くためには、費用もかかるし手間もかかる。春の彼岸から農家は忙しくなるため、農閑期の正月から3月の彼岸までが屋根の葺き替えのシーズンだ。準備は材料集めの茅刈りから始まる。11月に茅が枯れた直後から木刈り鎌で刈る。落とした葉で一束ずつ結わえておく。更に5束をひとつにくくり、馬で1駄ずつ運んだ。屋根に乗せる茅を結わえるには、竹と縄が必要だ。それらも茅と同時に準備を始める。竹は11月から2月に刈ると虫がつかないと言われている。縄は、はかま(葉)を取り除いて水を吹き、石の上でたたいて柔らかくしてから結う。毎晩の夜なべが続いたそうだ。屋根の葺き替えには大量の茅が必要なため、一度に替えるのではなく、少しずつ替えるのが通例だった。特に、陽に当たらない北側の屋根は傷みやすい。一部分または破損箇所のみ葺くのを「手直し」と呼んだ。全部葺き替えるのは「まるぶき」と言い、隣近所や親戚が手伝いに集まり、賑やかでちょっとしたお祭りのようだった。屋根替えの主導権を握るのは、当時部落に2~3人いた、屋根裏いわゆる屋根職人である。紺木綿の腹掛股引に長袢纏(はんてん)を着て、手拭いや頭巾で頬かぶりをしている。彼らが屋根に登り、下から順番に葺き替えていく。家の者や手伝いが屋根下から屋根屋の指示に従って茅の束を渡す。この手伝いのことを「地こすり」と呼んだ。終わると皆で酒を酌み交わし屋根替えのお祝いをした。茅葺きの屋根は30年持つと言われている。囲炉裏で火を焚き煙が屋根裏に廻ることで、茅にススがつき、水を通さなくなるそうだ。真ん中に家族が集まる囲炉裏があって、その上にどっしりとした萱葺きの大屋根が構えている。現在、全く見られなくなった日本人の原風景が、ほんの30余年前にはここにあったのだ。たまには、そんなことを考えながら多摩ニュータウンの近代的な街並みを歩いてみたらどうだろう。 2001.3.15号掲載
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