Home > たまには多摩語り > たまには多摩語り 【養豚】子豚市場開設

多摩ニュータウンタイムズについて
多摩ニュータウンの入居開始を控えた1969年、新しい街の地方紙(地方新聞)として創刊し、以来、多摩ニュータウン及びその周辺地域(多摩市、八王子市、稲城市)の皆様に最新ニュースや生活情報などを提供してまいりました。今日まで読者の方々をはじめ皆様からのご支援を頂き、おかげさまで創刊40周年を迎えました。 今後ともご愛読を賜りますようお願い申し上げます。 配布エリア:多摩ニュータウンの全域(多摩市、八王子市、稲城市)

たまには多摩語り 【養豚】子豚市場開設

 昭和25・6年頃のこと、多摩村農協組合長の相沢さんが都道(現在の多摩ニュータウン通り)で雄豚を追う姿が見られた。都道といっても砂利道なので、豚は足に砂利が食い込まないよう端のやわらかい草の生えているところを選び、駆るでもなし歩くでもない一定の速度で休みもせず進んで、雌豚の待つ養豚家のところへまっしぐらという感じである。組合長のいでたちはというと、襟無しのシャツに胴巻き姿で、およそ背広とネクタイ姿とはかけ離れていた。篠のムチを持って豚の後を追っていた光景を記憶している人もいることだろう。この頃、農協の経営は危機に陥っていた。組合長をはじめ理事の横倉さんや役員は、連光寺・乞田・落合など各支部に農協の経営危機を訴え、養豚や野菜栽培の普及を熱心に訴えて廻った。高額で飼育が大変な乳牛より手軽に飼育できる豚や鶏など飼いやすい家畜を飼ってはどうか。堆肥は農作物に利用でき、餌は残飯でもよいし、世話は女子どもでも出来て育てやすいということからだった。農協役員が各支部に熱心に話して廻った結果、農家の養豚熱は高まったが、家々に雄豚を連れて行く種付け方法では能率が上がらなくなった。そこで、相沢さん・横倉さん・井上さんは立川農事試験場で人工授精師の資格を取りに行った。合格した3人のうちでそれを仕事にしたのは横倉さんだけだった。血統証つきの雄豚を購入し、落合家畜人工授精所を開き、養豚家の要請に応えて精子を持って東奔西走した。種付料として生まれた子豚を1頭、生後2ヵ月位の離乳したものを引き取った。横倉さんが村会議員をしていた時、議会開催中、自分の机の下に豚の精液が入った魔法瓶を置いていたところ、中身を知った同僚から奇異な目で見られたこともあったという。乞田で豚屋と呼ばれていた伊藤さんは、子豚を貸し付けたり肥育した親豚を買い上げたりする仕事をしていた人。農家に貸し付けた子豚を半年後、キロ当たりいくらで買い戻し、育てた人には子豚の貸付料を差し引いて代金を払った。昭和27年、多摩村農協で子豚の競り市が開かれるようになり、農家で生産された子豚を持ち寄り、買いたい農家の人や業者が集まり、競り落としていった。競り市は農協の庭に高台を設け、その上に四方金網で囲んだ枠を置き、その中に1頭づつ入れて競りに賭けた。残念ながら、この市場は後に町田市小山田に常設の市場が出来たため定着しなかった。養豚熱は盛んになったが、この地域の一大産業だった養蚕ほどには伸びず、一家を支える収入を得ることは出来なかった。50年も前の風景であるが、今ではこの子豚市場があったことさえ分からない。だた、この時代にも新しい地場産業の育成に努力していたことは評価できると思う。2001.2.1号掲載

コメント:0

コメントフォーム
Remember personal info

*
右の画像に表示されている文字を入力してください。
Anti-Spam Image

トラックバック:0

このエントリーのトラックバックURL
http://www.tamatimes.co.jp/article/5572/trackback
Listed below are links to weblogs that reference
たまには多摩語り 【養豚】子豚市場開設 from 多摩ニュータウンタイムズ

Home > たまには多摩語り > たまには多摩語り 【養豚】子豚市場開設

Return to page top

誕生日プレゼント 彼氏と彼女に
世界にひとつの贈りMONO
福利厚生の日本元気丸
日本元気丸の365分の4運動
横浜中華街
横浜中華街のテーマパーク
輸入住宅
リライアブルホームズ
東京の工務店 注文住宅
創業明治32年の大栄工業
介護ソフト
日本ケアコミュニケーションズ
パワーストーン ブレスレット
恋愛運と金運アップのアクセサリー
サイト売買のサイトレード
法人特化型サイト売買専門会社