- 2001-04-01 (日) 14:26
- たまには多摩語り
桜前線北上中。今年も花見の季節になった。満開の桜の下で酒や弁当を囲む花見は今に始まったことではない。文政3年(1820年)に書かれた「武蔵名勝図会」には、当時から小金井桜が花見の観光客で賑わっていたとの記述がある。玉川上水の両岸に桜が植えられたのは、桜の実が水毒を消すといわれ、市民の生命に関わる上水の安全性が目的だったようだ。日本国花でもある桜は各地で見られ、野生種・栽培種をあわせて300種類以上と言われる。冬に咲く四季桜、6月に咲く高嶺桜、いろいろあるが、花見と言えば春のソメイヨシノが一般的だ。しかし多摩丘陵で桜と言えば、多摩市の市花であるヤマザクラであった。ソメイヨシノと比べて花が小さく可憐なヤマザクラは、わずかに残った山に今でも見ることができる。昔はこの辺りではどの家も、自宅の裏山や近所に野生のヤマザクラがあり、わざわざ花見に出かけることもなかった。田畑で働く男たちに女子どもが弁当やお茶を届けて、皆で食べた。それは、花見にも劣らぬ家族の楽しいひとときであった。また、農作業に関して、桜の開花時期は重要な目安だった。桜の開花の早い・遅いによって、自然のサイクルを読み取り、農作物の種を蒔く時期が変わるからである。桜の樹皮は茶筒や咳止め薬になったり、蒸籠・ふるいなどの合わせ目を縫ったり箕の先を強化するのに用いられた。硬い性質は彫刻に向き、大木は国会議事堂の演壇などにも使われている。一般に桜炭と呼ばれるクヌギの炭は、火力・日持ち・火鉢で手を温める感覚ともに優れた上等な炭であるが、桜は炭に向かない木だ。忘れえぬ多摩丘陵の原風景とは、松と桜の調和によるものだ。常緑の松林の間にヤマザクラがポコポコと咲いている光景…戦前の養分の少ない尾根には松があり、その下にヤマザクラ、山すそには杉や竹が生えていた。それが戦時中になると、燃料になる松根油の需要が増えて伐採されたり、松くい虫の被害により、松の木は多摩丘陵から姿を消した。ヤマザクラも、開発によって雑木林とともに消える運命をたどった。ソメイヨシノも良いがこの春は、“古来より多摩で生き抜いてきたヤマザクラを愛でる”というのはどうだろう。 2009.4.1号掲載
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