明日の多摩を考える② 広域自治圏をめざす南多摩東部5町村 横倉舜三

 昭和33年、いち早く七生村が日野市合併に踏み切った。
 このことにより、由木村のリーダーたちは焦りを感じ始めていた。当時、東京都は由木村と多摩村との合併を提案していたのだ。しかしこれと言った取り得のない貧乏村同士が合併しても発展する可能性やメリットもないとして、東部5カ村の合併を前提に、とりあえず由木村は日野町との合併を先行すべきであるとのことから運動を進めていたのである。ところが一方で由木西部地区の石井栄治村長を中心とする八王子合併派との間で村議会の採決を巡って双方の村民を巻き込んだ大論争となり、警察官300人を出動させるという由木村始まって以来の分村さえも辞さない、という地域の運命を賭けた大騒動となってしまった。
 こうして各村のリーダーたちはそれぞれ自分の村の将来を賭けた戦いを繰り広げている間に、多摩村ではゴルフ場の誘致が進み、一方では多摩ニュータウンの開発という都市開発が進められ、それによって一大住宅都市の出現となった。
 ところで多摩ニュータウンは国策に基づいて開発されてきたにも関わらず、その街づくりに対する未来への提言や建設理念、目標といったことについては何も示されないまま何時の時点で完成した、ということも示されず、施工者は名前を変え、撤退してしまった。
 実際のところこの時点では、まだこの開発によって南多摩広域自治圏の確立が達成されるのではないかと期待をもっていた。
 たとえば由木村の岩下一蔵議長などが訴えていた地方政治の理念は南多摩地域を、八王子を中心とする一つの自治圏、町田を中心とする一つの自治圏、そして東部5カ村が合併して新しく自立体制を整える、という三つの自治圏を確立することであった。
 結果、4市にまたがる生活圏を一つにした新しい都市が出現したにも関わらず行政区域は旧来のままで、先人の思いは活かされてはこなかったのである。
 それでも開発途上には、たびたびニュータウンサミットなどと称して地域内共通の問題が話し合われていた、が今はそれすらも行われていない。鹿島や松が谷に住む人たちは市役所に行くには一時間もの時間がかかる。このような不合理な街が出来上ってしまった。  090201号掲載

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