11月になって、ひと霜降りる頃になると大根は甘みを増してくる。この時期に「沢庵」用の大根を引く。昭和の半ば頃までは食生活は一汁一菜、ご飯が主でそれに味噌汁と沢庵がつく程度だった。一年間通して食べる沢庵を漬け込むのがこの季節である。大根引きに合わせて8月半ば頃に種をまく。多摩では湿気の多い低地を避けて丘陵地の水はけの良い畑に作られていた。畑が粘土質ではないサラサラした土質ほど、肌の綺麗な大根が育った。「大根引き」は子供も含め、家族全員の仕事として行われていた。抜いた大根を大人は一運び15・6本位、子供でも5・6本を背負梯子で家まで運び井戸や堀で洗う。それから2本の葉の部分を縛って樫の木の垣根に吊るして干したり、葉を落として1本づつ縄で編んで干したり、稲の掛け干しに掛けて干したり、干し方もいろいろだった。霜が当たらないように筵(こも)をかけ20日近く干し、その年の暮れの内に漬け込む。ひと家庭で150~200本位を四斗樽で2本も漬け込む家もあった。米糠と塩で樽に丁寧に積み上げていく。色出しには干し柿用の渋柿の皮を干したものを漬ける。樽に入れると自然に黄色い沢庵が出来上がる。また唐辛子を入れて味の変わるのを防いだ。沢庵漬けは各家の嫁と姑が共同で行う暮れの行事であった。大根の干し加減はその家によってまちまちだった。暮から3月頃まで食べるものは生干しにし、遅くまで食べるものは、やわらか干しにした。裏口の寒いひさしの下に重しの石をいくつも乗せて漬け込んでいく。酒樽を酒屋から買い入れて沢庵用に使用していた。現在のプラスチック容器につけるよりはるかにおいしい。また、暮れは醤油搾りの時期でもあり、搾った醤油を煮詰めるときに出る醤油の泡で漬けた「泡漬け」もまた格別であった。干し大根に向かない短いものや折れたり変形した大根は切り干し大根となった。お婆さんなどが暮の寒い日でも日の当たる縁側の隅で2日も3日もかけてコツコツと大根を短冊型に薄く刻み、筵に広げて乾燥させる。それが煮物になったり味噌汁の具としておかずになる。葉っぱがカラカラに乾いたものを干葉(ヒバ)と言い、これも味噌汁の具となっていた。大根は冬野菜の王様。「おでん」や正月のお雑煮にはなくてはならない。食を進めたり消化を助ける働きをしている。こうして家族総出で行われていた大根引きを知る人も今では少なくなった。 2000.12.1号掲載
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