- 2000-09-01 (金) 16:14
- たまには多摩語り
鎮守の森の鳥居の前に2本の長いのぼりが立てられ、ドンドコドンドコ太鼓の音が山間に響き渡れば祭りの始まりだ。村の人たちは、にわかにそわそわし始め、太鼓の音に引かれるようにぞろりぞろりと集まっていく。家々では赤飯を炊いたり酒饅頭を蒸かしたり、ちくわ・里芋・こんにゃくを炊き合わせた煮しめを作ったり、と祭りの準備に余念がない。祭り当番は、家でこしらえた赤飯や饅頭、煮物を持ち寄り、男たちは筵の上に車座になり、お宮の境内では賑やかに酒盛りが始まる。鼓や太鼓、笛のお囃子に合わせて獅子舞の神楽が神社の氏神様に奉納され、村の人たちは待ちに待った芝居を楽しみ祭り気分に酔いしれた。新暦の9月から10月にかけて、あちらこちらの神社で作物の収穫を祝って秋祭りが催される。夏暑く雷雨の多い年は、作物の生育が良好で、9月のはじめ、豊饒となることが予想されると、祭りの開催が決まる。神楽や芝居の奉納は豊作か不作かにより決められた。神社には、酒や金銭を包み記名した祝儀袋が奉納された。拝殿の桁には奉納者名と倍の奉納金額が書かれた半紙がずらりと掛けられた。祭りは奉納金で成り立っており、村会議員など名誉職の人や肥料屋、酒屋、荒物屋(雑貨店)など、村で商いをしている人たちが納めた。商売人にとっては常日頃ひいきにしてくれている地域の人へのお返しの場であった。境内にはセルロイドのお面やねじり飴、麩菓子、かき氷、玩具などの屋台が黄みを帯びたアセチレン燈火の下に並んだ。辺りが夕闇に包まれる時刻になると、いよいよ芝居の始まりだ。村の人たちは離れた土地に住む親戚も呼び集め、一族総出で芝居見物に繰り出す。神楽殿の舞台には花道が設置され、そこに花(奉納金)の額と奉納者名が、金額により大きさの違う紙に書かれて張り出された。神楽が奉納された後、前座でヒョットコやオカメ、白狐の面を付けた人がお囃子に合わせて踊り、芝居師により忠臣蔵、牛若丸、国定忠治などの芝居が演じられた。多摩の芝居師には、小泉・新倉の2人が始めた貝取の小倉一座や大塚の西川一座があり、神社は祭りのために芝居を買い、若者たちが芝居の準備をした。祭りは村と村の交流の場であり、地域を活気づけた。村には20から30軒の単位でお宮があり、落合の白山神社、小野神社、堀之内の南にある北八幡神社、大塚の八幡神社、東中野の熊野神社などは、今も残る古来のお宮である。祭りの喧騒が去り、軒先を秋風が吹き抜ける頃になると、農村は繁忙な収穫の時期を迎えるのだった。2000.9.1号掲載
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