かつて多摩地方には、いたるところに竹やぶがあった。竹は大変な勢いで根を伸ばす。地中に竹の根が張り巡らされた竹やぶは地盤がしっかりしていることから、「地震が来たら竹やぶに逃げ込め」などと言われる。日本には約150種類の竹があると言われているが、多摩地方は、孟宗竹、真竹、篠竹の3種類が主で、当時の人々の生活に欠かせないものであった。竹はイネ科の多年性常緑木で、稲と同じような花をつける。筍は毎日成長し皮を落とすので、その皮を拾ってきて水で濡らし、重しを乗せて広げておく。竹の皮はとても丈夫で水分を通さないので、食品を包んだり器の代わりに、また草履などにも使われていた。今ではビニールやプラスチック、金属製品が便利に使われているが、竹の皮に包まれたお弁当には独特の香と情緒があったように思う。多摩地方は幕末から昭和初期にかけて大養蚕地帯であった。農業の中でも養蚕は特に多くの道具を必要とする。竹の箙(えびら)や竹籠など竹を用いた道具が重要な役割を果たしていた。竹がないと成り立たないのが養蚕業だとも言える。冬の間に切った竹は丈夫で保存がきくことから、11月の中旬から2月にかけて、竹やぶから竹を切り出してきて日陰に寝かしておき、5月上旬の蚕の掃立の間に竹で道具を作った。砂利蓑(じゃりみ)や桑つみ用のかご、草刈かご、目なしかご、目つぶしかご、大かご、みそこしなども作った。籠屋という商売もあって、頼まれれば出向いてその家の竹でかごを作った。その商売も養蚕あってこそだったのだから、当時、多摩地域のほとんどの家庭は養蚕業を営むか、または間接的に養蚕に関わりのある仕事を持っていたと言える。その後、人絹や石油製品が台頭してきて、人手のかかる養蚕はすたれていった。竹竿、竹梯子、竹縁、竹箒、竹馬、竹刀、竹槍、建築用材や家庭で使う扇子、うちわ、唐傘、茶道具では茶せん、茶杓、柄杓など、竹で出来たものがかつてはたくさんあった。今でも正月の門松、七夕の笹、お祭りには竹にしめ飾りを飾ったり地鎮祭には竹で四方を囲ったりと、祝い事などに使われる竹。もうすぐ筍も出てくる。筍は出始めに採ったものが柔らかくておいしいと言われ、そばつゆにしたり煮物や筍ご飯にしたりと、さまざまな形で使われる。竹の道具を見ることは少なくなったが、せめて食卓に筍が並ぶ頃には、養蚕が盛んだった頃の多摩地方に思いを馳せるのもいいかもしれない。 2000.4.1号掲載
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