- 2001-05-01 (火) 15:32
- たまには多摩語り
5月の節句。薬師如来の発見で知られる八王子市別所の長池では、毎年池のほとりでむしろを敷き、大きな数珠を回しながら「念仏」を唱える多数の人の姿が見受けられた。戦後は衰退の一途を辿った念仏講だが、地域に根ざした女の人の年中行事だった。15~20軒の家で1つの「講中」を作り、その中に3~4の五人組があった。その長である五長が、毎年丹沢の大山神社へ代理参拝に行き、講中の軒数分のお札をもらってきたという。田畑の水源を確保しなければ自分たちの食べる物も収穫できないため、地域毎に必ずある講中に入っていない家は珍しかった。葬式を講中全員で執り行なったり、田植えの手が足りないなど何かあった時は、皆で助けに行き奉仕するのが当たり前だった。さて、念仏も各講中単位で行われた。毎月1回の「月並み念仏」のほか、春秋の「彼岸念仏」、家を新築する時の「建前念仏」、葬式の際の「送り念仏」や法要の「頼まれ念仏」など、生活の折々に根付いていた。会合や宴席の多い男に比べ、外出の機会の少ない農家の主婦にとって、夜公認で外出できる念仏講は楽しみでもあった。念仏のある日は畑仕事を早めに切り上げ風呂に入り、夕飯を少し食べて化粧をして普段より良い着物を着て、家紋の入った提灯を下げて目的の家に向かう。一方、持ち回りで「月並み念仏」の順番に当たった家では、朝から部屋の片付けや、料理やお茶菓子の準備に大忙しだった。夜になり、全員が集まって着座したところで、リーダーの年長者が口火をきって鐘を鳴らし始める。そのリズムに合わせて皆で数珠を繰りながら、「南無阿弥陀仏…」などと一心に唱える。喜びや悲しみをのせた声が響き渡り、辺りは神聖な空気感に包まれた。「お釈迦念仏」「地蔵さま」「子ども念仏」「十三仏」「賽の河原」「黒谷の訓」ほか、主に年長者より口伝えされた念仏は人の生き様を描いているものが
多く、詠んでいると有難くなったり心が清められていくものだった。時には同じ念仏を繰り返しつつ1時間半ほど唱え、その後食事をしたりお茶を飲みながら語りあって、ゆるやかに夜が更けていった。嫁いできたばかりの新顔を紹介したり、その地で採れた作物を使って料理を教えたり、と情報交換の役割も担っていた念仏講。声を揃えていくなかで、ゴスペルのようにさりげなく心がふれあい人の繋がりも広がっていった。地縁の厚い八王子市東中野や町田市小山町などでは、新世紀の今なお彼岸念仏が続いており、その頃の時間を切り取ったかのような懐かしい光景が見られる。2001.5.1号掲載
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