稲城在住の洋画家・武蔵野美術大学名誉教授の松樹路人さんは春の叙勲で「旭日小綬章」に輝いた。
既に「芸術選奨文部大臣賞」など9回の受賞を数え各種の審査委員などを歴任する重鎮。雅号とも見紛うその名は本名だった。
【揺籃の地・北海道】
松樹さんは昭和2年1月16日、北海道・羽幌町(はぼろちょう)に生まれた。父・美代治氏が小学校の校長だった関係で北見、左呂間、留辺蘂(るべしべ)、女満別(めまんべつ)、網走などに移住し網走中学校に進んだ。3人兄弟の次男だが「子供の時から絵を描いていた。学校から帰るとクレヨンや絵具で。油絵を描いたのは中学1年からだった」。父親の蔵書を開いてはモネ、ピサロ、ゴーギャンなどの絵を眺め、親が絵具代に閉口するほど絵に没頭していた。
北風が吹き遥かな地平線の落日に地上の影が長く伸びる夕方、母が真赤なトマトを採る光景をしゃがんで眺めていた自分。わびしいが自然の色は美しかった。
吹雪の晩に父がしてくれた宮沢賢治『風の又三郎』の話。窓を打つ風の音と共に頭に描いた幻想 … 。
四季に変わるオホーツク海と広がる大地、そして家族。生まれ育ち少年時代を過ごした郷土は、父母の思い出、詩的な幻想、遥かなものへの畏敬の感情も併せて心に強い印象を刻んだ。
昭和16年、父・美代治校長の教育方針が特高警察の目に触れ一家は心ならずも郷土を離れて東京に移る。
府立第15中学(現・都立青山高校)に編入。4年卒で東京美術学校(現・東京芸術大学)入学。梅原龍三郎教授の油絵教室を卒業。
【稲城にて】
松樹さんが經子夫人と稲城町大丸に移ったのは昭和39年、既に画家として活躍していたが「この頃から画商が来はじめた」という。
昭和46年、現在の稲城市坂浜にアトリエ付きの新居を構えた。かつて自分に問いかけて描いた『分岐点』の角と同じV字形の土地の上だ。武蔵野美大の教鞭もこの年から始まった。
「稲城はいい。大丸では梨畑の白い花。坂浜では朝夕の運動公園、階段、小鳥の声。多摩川の堤防を歩けば東京にいて東京ではない空気。都心から帰って多摩川を渡るとほっとします」。
松樹芸術は現実と幻想のはざまを描くと言われる。写実の画題でも空の雲、遠い木立、路傍の草、魚や昆虫などの描写を併せ作品の空間に流れるのは透明にデフォルメされた郷土北海道のイメージだ。母子像をはじめ家族を描いた作品も多い。少年時代の家族から生まれた心象だろう。「北海道を思う心。絵を描くのは自分の心の奥底を揺さぶり聴診器を当てて探るのと似ている。自己追求かな」。
いま各地のほか特に北海道近代美術館には大作『懐郷』など多くの作品が展示され稲城の姉妹都市・女満別にも『オホーツクの大地から・女満別』が掲げられている。
最後に地域の子供達には?「稲城に小さくてもいいから、誰でも個展の出来るきちんとしたギャラリーが欲しい」「私も絵を描くから、みんなも絵を描いて遊ぼうよ」。同人展の作品制作で寸暇を惜しむ合間にも松樹さんは明るかった。
◇十果会東京展 7月6日(水)~12日(火)日本橋高島屋6F
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