筆舌 横倉舜三 公的開発の都市に警鐘は鳴らされている

 本年も各市の消防団の出初式が行われた。以前には出初にも半鐘が鳴らされた。
 …半鐘が鳴っている。火災である。しかも近火だ。住民は一斉に煙があがっている方向を見定める。そこは誰々さんの家ではないか。消防団はポンプ車で駆けつける。近所の人たちも火災現場へと向かう…
 火災の恐ろしさは、何世代も守り続けられてきた家も一瞬のうちに火に包まれ灰塵に帰してしまうこと。今でも火災を知らせる半鐘の音は異様に、しかも何かの警鐘のように聞こえてしまう。
 この多摩丘陵も戦後の占領下にあっては内発性が抑えられていたが昭和三十年代になって漸く自主的な動きが始まり、やがて世紀の大開発へと繋がってきた。
 その開発も公的開発と位置づけられ、官主導の街づくりが進められてきた。その結果、永年地元住民の自主的な活動により培われてきた地域の習慣や連帯性は希薄になってしまった。
 地元の人たちは土地を手放し、仕事を投げ打って協力してきたにもかかわらず街づくりの一端を担うどころか、片隅に追いやられてしまっている感がある。
 年長者の間で内発性が加速度的に薄れてきたことも影響しているのか、時代の先き行きに不安を抱えている若者たちの間にも心の底から湧き出ずるようなエネルギーを感じられなくなっている。
 政界も、ねじれが続いている。前国会の与党はただ新テロ法案を通過させようとしているだけで、野党は代案を出したもののあくまでも反対するだけだった。その間には大連立構想の動きもあったが具体化はしなかった。
 ただ両院議長は双方との調整を行い、新しい話し合いの場も作ることができたのではないかと思う。対外的にも国家の信頼を維持し国民のための政治行動であったのか問われる国会であったように思う。
 地域の自治体にとっても同じようなことが言えるのではないか。公的な計画都市開発と言われた多摩ニュータウンは、いまや無法地帯のような都市づくりが進められているような気がする。
 これらに対し、警鐘が鳴らされ続けている。地域の政治家たちにこの音が聞こえているのだろうか。 080201号掲載

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