「生活道路として必要」、「自然を破壊し、公害を撒き散らす」と、尾根幹線の着工を巡っては、対行政・日本住宅公団のみならず住民間でも賛否の意見が分かれた。緊迫の経緯をたどる。
昭和五十四年、日本住宅公団の工事説明会では、開会前から住民の怒号やシュプレヒコールが繰り返された。「速やかに着工したいのでご協力をお願いします」との工事説明中に、反対住民の一部が公団幹部席に詰め寄り警備員ともみ合った。
この「着工宣言」をした翌日から工事に入った公団側に、反対住民らは「強制着工反対」の横断幕を張り、連日座り込みを続けこれを阻止。公団側が、百名の警備員を動員して強制着工に踏み切ると、実力阻止しようとした主婦ら三人が重軽傷を負う異常事態に。
その後、「永山公団住宅自治会」「尾根幹線を阻止して多摩の自然と生活を守る会」の代表者と、臼井・前多摩市長との間で話し合いあったが、「渋滞を解消する生活道路として側道の必要性を納得して欲しい」という市長と、「側道といえども完成すればバイパスに使われるし、着工を許せば中央部に道路ができることになる。本線道路を作らないと保証してくれなければ、座り込みをやめられない」とする住民側は、互いに譲らず平行線のまま。
多摩ニュータウン第一次入居から間もない昭和四十七年頃からこの問題は住民の関心事となっていた。尾根幹線を調査・研究しているうちに「完成時には最大幅員五十八mの大型道路になる」ことがわかり、五十年には一万二千名の反対署名を集めた。反対派住民は、都や公団、多摩市に計画の白紙撤回を求め続けたが、市議会への請願は不採択に終わった。公害を心配し不信感を募らせる反対派住民に、公団は、「永山・諏訪の団地に近い北側・側道の二・五㎞は、自転車と歩行者だけを通し車は南側の側道に迂回させる」事を約束。
永山・諏訪地区間の側道際には緑地帯が設けられ、現在でもこの界隈のみ、北側の上り車線が南側の下り車線に一時的に合流するなど、風化しつつある闘争の名残をとどめている。また、民間が開発した高台の鶴牧・落合地区の側線沿道に緩衝帯が設けられたのも、反対運動の置き土産だろう。諏訪・永山の「上り車線」に使用されるはずだった幻の側線は、車両通行禁止の杭が打たれ眠り続ける。平成十七年度に、側線部が全線開通する予定だが、草原のベルト状態の本線部はいつ目覚めるのか、動向が注目される。
(続く)
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