京王・小田急の多摩センター駅の南方、大通路の終端に多摩市の複合文化施設『パルテノン多摩』がある。正面の大階段、左右に建つ地上五階・地下一階のビル、そして丘の上にそびえる大パーゴラ。これは日本中の都市でも異色の光景だ。
☆設立まで
この施設の構想は昭和四十五年十二月、東京都による多摩中央公園の都市計画決定から始まった。その後各種審議会などを経て、設計施工は住宅・都市整備公団(当時)に委託され、工事は昭和五十九年に着手された。総工費は約七十五億円と伝えられる。
一方、ニュータウンの文化施設として、中央公園の場所に多目的ドーム球場建設に意見もあった。
昭和五十四年、元市議の横倉舜三(現本紙社主)は、自費でアメリカに出向いて調査している。この案は幻に終わったが、当時は日本にまだないドーム球場に着目した一つのアイデアだった。
☆愛称は公募
建設工事は進むが「複合文化施設」という呼び名では意味がない。
昭和六十年八月、多摩市は『たま広報』とポスターに施設の完成俯瞰図を掲げて施設の愛称を募集した。「読みやすく、書きやすく、覚えやすく、親しみやすく、美しい」というリッチな条件だが、九月末の締め切りまでに市内外から二百三十四通の応募があった。選考に苦心し、人文科学者の加藤秀俊氏とファッションデザイナーの浜野安宏氏の助言を得て決定したという。
このため十一月の発表予定が大幅に遅れ、六十一年五月、貝取の村山初枝さんの『パルテノン多摩』が選ばれた。
☆設計の理念
この施設は多くの建築専門誌が注目した作品だが、荒涼とした丘陵に設計者はどんなイメージを描いたのだろうか。
担当した現在の㈱曾根幸一・環境設計研究所の曾根氏によれば「この施設の特徴は建築と公園の丘を一体的に設計した点です。設計を構想したときには中央軸の大通路は完成していた。この軸と高台に広がる公園の結び目をどのように構成するかが重要な要件でした。公園の入口であり施設の玄関という建築は歴史的にいくつかの例もありますが、この建物の多くの部分は公園から言えば地中に埋まっています」。そして大通路の突き当たりという立地条件から「門前町の本尊のような場所で、私たちはこの建築に、均質なニュータウンの住宅地と対比する非日常的なもの、儀礼的で祝祭的なものを求めて来ました」。曾根氏は丘の上の建物の印象から来る『パルテノン』の愛称は愛称として「全体の構成では古代ギリシャのペルガモン神殿に近いと思う」と続けた。
当時の行政の配布物には「市民の誇りと象徴」「シンボル」などの言葉が見られる。臼井千秋市長も市議会で「広域文化の拠点」と発言するなど、市民も行政も期待は大きかった。
(続く)
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