正月には昔からの様々な伝統行事が行われる。それは未来に向かって出発の時を祝う節目、折り目だからである。一年の始まりという節目にそれぞれの家庭では暮の内から、家や屋敷の大掃除、門松を立てたり、餅を搗いたり、雑煮やおせち料理の材料を調えて新年を迎える。
元旦を迎えると各家庭では朝早くから若い人たちが年男となって若水を汲み身を清め神々に灯明を灯し、御供え物をして、家族揃ってお雑煮で元旦を祝う。
これからの一年間ご近所の皆様にはお互い助け合ったりするので、両隣りを始め二十数軒の家々に新年の挨拶に回る。この地方では「郷礼」と言っている。
この行事は近所の人たち二、三人で若い人は年配の人の後について回ることにより、それぞれの家の様子や暮らし方を学ぶ大事な機会の一つになっていた。
だが戦後から神社や集会所に集まって初顔あわせをすることで略されてしまった。親戚などへの年始回りも重要な情報収集の機会でもあった。
元旦の小学校では分校などの生徒が本校に集まり、年の始めの式典が行われた。生徒たちも全員袴を着けた礼装で臨む式典では、校長先生が白い手袋で教育勅語を読み上げる光景を知る人も少なくなったであろう。
このような行事や習わしは無駄なように思われるが、同じ地域に住む人々とのつながりを深める役割を果たしていたものと思う。こうした仲間意識が失われた現在、ひとたびこの地域に関東大震災規模の災害が起きた場合にはどうなるのだろうか。
また道徳の退廃も目に余るものがある。警察官が盗みをしたり自衛官が秘密を漏洩し賄賂を貰い、親が子を子が親を殺害したり…これらの問題を省みる時、地域行事から生れてきた“美徳”というものが抹殺されたことも関係しているのであろう。
今これらに変わる新しい美徳も生れては来ていない。私たちはこの退廃に立ち向うためには単に道徳の復活を叫ぶだけでは始まらないようだ。
先ず日本の伝統的美徳がいかなるものであるか、もう一度その原理と価値を問い直すことが必要なのではないか。何気ないしきたりにも深い意味があることに気づく。 080101号掲載
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